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無料はパリから始まった
public
ゲンロン12(P136)にある #無料とは何か の中にある一つの章
鹿島茂による寄稿

東京オリンピック聖火リレーの前座にコカコーラなどの広告・宣伝があってちょっと炎上したりした話
「群衆が道路に集まるのを利用して広告を打てば効果は抜群なはず」と考えたのは、明治20年代
天狗煙草明治天皇の行幸の際に行った

広告は起源的に考えて、以下の2つに分けられる
1. 例え立地条件が悪いというハンディキャップを持つ店でも、派手で目立つ広告を掲げれば物見高い群衆は自ずと集まってくるという発想
2. 集める努力をしなくとも初めからたくさん人の集まってくる場所を見出し、そこに広告を打てば宣伝効果は確実に上がるという発想

デパートの祖型と言われる流行品店(マガザン・ド・ヌヴォテ)は2に該当する
2023/3/21にこれ、パサージュにいって感動した!!


ようは、広告とは「人通りの多いトポス」を見つけるゲームになっている
>topos: ギリシア語で〈場所〉を意味し,アリストテレスや古代修辞学では,議論に関係した事柄や話題を発見すべき場所(論点,観点)を表した語

リアルではない、「バーチャルなトポス」というのが出現した最初のは政治新聞だった
>では、リアルではないヴァーチャルな「人手の多いトポス」はフランスではいつ出現したのか?
>ナポレオン帝政が瓦解した後、一定程度の報道・出版の自由を認める王政復古という体制が成立した1815年以降のことである。つまり、ブルボン王党派自由派が自らの主義主張を広めるために創刊した『コンセルヴァトゥール』『ミネルヴ・フランセーズ』と言った新聞がそのヴァーチャルな「人手の多いトポス」となったのであるが、じつをいうと、新聞のこうした潜在的な可能性に目を止める人間はほとんどいなかった。
> どれも時の政府を攻撃ないしは擁護する政治論説ばかりで、読者層は限定されていると人々は思っていたからだ。
けど、あまりそれ自体に目をつけられていなかったので、別にメインにはならなかった

1. 党派的な政治新聞ということもあり、高く・複数の新聞を読んでいる人が少なかった
2. ほとんどが政治で、他の経済や文化のスペースがなかった
3. 政治的主張を持たない新聞もあったけど、予約制で高かった
4. 収益方法が読者からの(今でいう)純粋なサブスク課金だったため、空いてるスペースは新聞自体の広告だった

これらをどうにかするために、エミール・ド・ジラルダンはとりあえずまとめサイトみたいな新聞を作った
政治主張なし
「組み合わせ自体」がセンスと言い切る
その後売却tkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshn

新聞を作るにしても、印刷費が結構かかる問題
広告をつけることで、相殺する計画tkgshntkgshntkgshn
原理的には購読料は無料にできる
>広告収入を新聞経営の一つの土台にするという画期的な試みのおかげで,同紙の購読料は年間 40フランという当時としては破天荒な安さであった。
無料メディアの草分け的存在「La Presse
>タイトルはジャーナリズムそのものを変革するという意味を込めて、フランス語でジャーナリズムを意味する『プレス』とする。
1836/7/1 創刊号
めっちゃ賢い、儲からないことを儲かることにするの天才だ



知識補完・資料
近そうな資料を見つけた
1. 定期刊行物=新聞と定義すると、ルイ13世の時代まで遡る
官報だなtkgshntkgshntkgshn
2. 日刊新聞の登場
コランセが創刊
その後にフランス革命により、フランス人権宣言が発布
検閲と全ての事前検閲許可制の廃止 により、プレスの自由を手に入れた!!!!!!!!!!!!tkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshntkgshn
アツすぎる
政治新聞(討論新聞)が出た