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宗教改革
宗教改革
宗教改革
キリスト教、ローマ帝国内で広まっていく
迫害されながら
ローマ帝国、多神教
キリスト教は一神教、他の宗教と相いれなかったり
奴隷にも普及したり
西暦392年に、国教として認められた
400年ぐらいかかった

西ローマ帝国、カトリック系
西ローマ帝国は、ゲルマン人に征服される
よく知っているのは、ゲルマン化されたキリスト教
東ローマ(コンスタンティノープル)とは性質が変わってくる
カール大帝への戴冠、権力者に権威を与えるシステムを作っていった
神聖ローマ帝国、
世俗の権力を得ていく
中世は死が身近だった。
キリスト教は、死に対する解答があり、広まった。
ビジュアルで表現されて、識字率が低くても伝わる。
救いが重要
王と権力がぶつかる問題がある
キリスト教徒でなくなったら、人権(のようなもの)がなくなる
キリスト教の共同体のメンバーかどうか、ということが全てだった
→王権神授説、信仰をベースとした権威の説明
納得しないと人は反乱する

教皇至上権へ

教皇至上権
信仰をもとにした社会
信仰と世俗の権利を両方持つ
死後の世界と現実の世界の両方
信仰と世俗の行為が合わない部分が出てくる
教会内部から反対者が出てくる、それは粛清せざるを得ない
ルターは教会内部から出てきた
力を持ち始めた主権国家の君主が、神聖ローマ帝国への対立に都合が良かったため、ルターの意見を支持した
イギリス国教会、フランスはローマ教会から独立した
あまりうまくまとまっていない
皇帝が統治するが、あまり権力を持っていなかった。お金も無かった。

>神聖ローマ帝国は今日の国々のような高度に中央集権化された国家ではなく、等族と呼ばれる王、公爵、伯爵、司教、修道院長及びその他の統治者に支配される数十の(最終的には千以上の)領邦に分かれていた。また、皇帝に直接支配される地域もあった。皇帝が単純に法令を発布して、帝国全域を自律的に統治しえた時代は存在しなかった。皇帝の権限は様々な地方領主たちによって厳しく制限されていた。
>中世盛期以降、神聖ローマ帝国は帝権を排除しようと抵抗する地方諸侯との不安定な共存政策に特徴づけられる。フランスやイングランドなどの中世の諸王国と比較して、皇帝は自らの統治する領土を十分に支配する力を獲得し得なかった。反対に、皇帝たちは廃位を避けるために聖俗領主たちにより一層の権限を授与することを強いられた。このプロセスは11世紀の叙任権闘争に始まり、1648年のヴェストファーレン条約でおおよそ完了している。幾人かの皇帝たちはこの自らの権力の弱体化を食い止めようと試みたが、教皇や諸侯によって妨げられた。
>神聖ローマ帝国 - Wikipedia

ルター
聖書の教えに立ち返ると、すべての人は救われるべきで、金銭で差があることは論理に合わないことになる
活版印刷で、ドイツ語訳の聖書が普及した
民衆の中でも、教会の教えから聖書の教えに戻る流れができた

ルターと宗教改革「95か条の提題」とは - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

ルターは純粋に宗教の議論がしたかった
聖書に基づいて考え直すこと
拡大解釈され、教会ではなく、領主への反発にもつながった
著者の意図しない形で、概念が使われることがある


カルヴァン
授業で聴いた内容を覚えている
ヒエラルキー構造の逆転
→パラダイムシフト
下位のものを尊ぶ思想

フランスからスイスへ亡命。スイス、金融が優れていた
今もチューリッヒの保険などがある
市民のほとんどがカルヴァンの思想に染まっていた

感情・思考の言語化を、他の人に委ねるような感覚
自分の感情をブーストするものが思想



イグナティウス・デ・ロヨラ
振り切っている人
コテンラジオ

1ステップごと変わる
変わりたくない人が、挙動として出てくる

思想(世界に対する認識が変わる)
思想+実務技術革新
社会変革(世界が実際に変わる)

の流れで
理想主義 *ただし摩擦は考えないこととする

理念100%では続かない
腐敗しているから、続いていることもある

社会は急には変わらない
理想環境下での思想現実との対応
余計な係数がかかる感じ、樋口さんの例え