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山口昌男

美幌町時代
藁科雅美 Masami Warashina(音楽評論家、訳書・バーンスタイン物語、1950年第1回美幌町文化賞受賞)。戦後、北海道美幌町に疎開中の藁科雅美から英語の個人指導を受ける。藁科雅美はその後(1952年)團伊玖磨に北海道美幌農業高等学校校歌作曲を依頼、(1953年)武満徹に美幌町町歌作曲を依頼する。
都市の会
中村雄二郎(「へるめす」同人でもある)
「へるめす」同人
麻布中学時代の生徒
「東京外骨語大学」
山口昌男が「学長」の交流会。
坪内祐三(助教授)
以下生徒3名
石神井書林の内堀弘
月の輪書林の高橋徹
『彷書月刊』の編集兼発行人の田村治芳
「例の会」メンバー
季刊誌として創刊された「へるめす」前身となる会。
その他
栗本慎一郎 - 栗本慎一郎自由大学に参加
本多勝一(「調査される側の眼」で文化人類学を批判。山口昌男がこれに反論、論争となった)