スプートニクショック
1957年、
人工衛星打ち上げでソ連に先を越されたアメリカではスプートニクショックが走った。
スプートニクは重量83.6Kgに達し、これは、当時のアメリカが開発中のロケットで 打上げ可能な衛星の40倍以上であった。
宇宙開発に遅れをとってはまずいということで、NASAが設立された。
膨大なデータを収集し、処理する必要性から生まれた。
ソ連の科学力がアメリカへの軍事的脅威となり、「核爆弾を落とされても、死なない通信システムを作る」ということからインターネットの歴史が始まった。
重要情報が一ヶ所に集まるり、そこを何らかの攻撃を受けると致命的なダメージを受けてしまう。
そこで複数のコンピュータを離れた場所に配置してネットワークで接続し、どこかが使えなくなっても、他の残りで接続使用可能な「分散型」ネットワークというものを作る必要がでてきた。
これについていろいろな所で研究・実験がされ、そしてついに1969年に、米国国防総省が「
ARPANET」を完成させた。
計画の中に「計測器と科学データの信頼性確保」が入っていた。
計測器の信頼性に関しては「全ての計測器をNBS(現在のNIST)トレーサブルとする。」であり、データの信頼性に関しては分野ごとにデータ評価、データ頒布を行うデータセンターを設立することであった。
当初の目的、目標、分野は変化して今日にいたっているが、信念は今も変わっていない。
人工衛星打ち上げで、当時のソビエトに先をこされた米国では、それまでの
科学教育に対して大変な批判が
巻き起こったそうである。
経験主義教育を主軸に構築された教育体系では「
未知なるもの」への対応が困難であり、「解」が既知のものしか教えられない歯がゆさがある。
人工衛星のように人類が初めて取り組む事業に関しては、当然のことながらこれまで認識されなかったさまざまな
新しい課題や制約に直面することとなる。
このような新しい問題に対しては、経験主義教育だけでは自ずから限界があり、むしろ「
ものの考え方」や「
現象の本質を見抜く力」を体得できる教育機構が重視されることとなる。
このような意味で、米国ではこれまでの経験主義教育に加えて、「
形式陶冶」に主眼をおいた「
発見学習」への取り組みが急速に
展開されるようになった。