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センスの時代
正論はAIにとって代わるので、センスを磨くしかないのでは > センスの時代


introduction
AIの衝撃、データによって基づく正解に近いものはAIに勝てない
過去の歴史を元に何かをアウトプットすることはAIが得意なことである
今後もその傾向は続くはず
また先進国において今後意思決定においてなにを重要視するのか
服などを購入するのにおいて、ユニクロ以外を購入する意味はあるのか?
ロジカルシンキングは死んだということは、ロジカルシンキングの死とスペキュラティブシンキングの時代のブログにおいて考えたが、そのスペキュラティブな考え方が受け入れられるかはなにが重要なのか
何を人間は磨くべきなのか。それがセンス・審美眼なのではないかと思う仮説

本論
Softwareによって素晴らしいことであり弊害が多いのはデータがとれたこと。データによる罠がある
過去のデータから何か意向を考えようかと思うと、
ファストなエンタメファスト化した風景みたいなのがひたすらいろんなところで見られる
これはデータから導き出したものではある
もしAIに地方都市再生を任せると、そういったどこかで見た景色の再現になるから
いま、なぜ空間は退屈かについて書いてること
アテンションを集めるものに目を向けだすと、つまらなくなってくるのではないか?
猫とエロに溢れたSNSにしたいのか?
過去のデータからみたときに経済的に正しさを選ぶことは、つまらなさに通ずるときはある
例えば3食決められたものを食べるのが経済的に正しいけど、それをしたいのか?
人間とは何かみたいなところの問いにはなってくるのかもしれない・・
そういったものにつまらないと思えるこころが人間の美的感覚でありセンスなのではないかと思う。
審美眼を磨くみたいなものにつながるところなのかもしれない。
コスパ・タイパのようなネオリベラリズムによって支配されているものにたいする美意識における解決方法があるのではないかと思う。
センスメイカー の時代。インフルエンサーではない。大衆の意見をアクセラレートするのが、インフルエンサー。
センスメイカーは需要な論点をあぶり出してくれる、挑戦的である
まあそういう文脈においてはa16zとかもそれにあたるのかもしれないけれども。
意味を創り出すことの重要性
人は何のために存在するのか、人は、意味を作り出し、意味解釈するために存在するのだ
ニーチェがそういうこといってなかったけ?全ては解釈であるみたいな
>事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。 > ーーーニーチェ
しかしこれはポピュリズム的なものに流れるか可能性もあるから用途が難しい


結論
アートやブランドに対して考えることが一つ磨くことに繋がるのではないか
LVMHのようなハイブランドとか
アート
ここに正解はない。

AIに正論はまけていくことが決定している。

コスパ時代の終わりと、センスの時代の到来





コスパ・タイパなど評価の軸が経済的ネオリベラリズムに侵されてきていたが、それがつまらないかもしれないということも気づき始めている。
ユニクロが決して悪いわけではないが、経済的に合理的な選択をした場合の答えが決まってしまっている。そのような社会には閉塞感がある。Alternativeがない世界は息苦しい
ジョージ・ルーカスのような映画のファーマットが完成した後に、下がってきていてA24がでてきているように、カウンターカルチャーが強い

>センスとは選ぶこと、判断すること