ロジカルシンキングの死とスペキュラティブシンキングの時代
ロジカルシンキングということは普及して死んでいる
非常に大事。でもニーチェのいう神が死んだ的なことをいえば、ロジカルシンキングは死んだ
要素分解して分かることにいしてはもう結構の人が取り組んだが、そこのスペースはない
課題があって解決していく方向性が少し減ってきてい
プロダクトアウトな考え方が重要になってくるはず
帰納的な物事の捉え方というよりは、演繹的な物事の解き方を今後は必要になってくるはず
現状ではなく、理想から描く力というものが必要になってきている
- まあだからこそ
SF思考やアート思考などが働いている?
- Uberとか、Airbnbも問題解決なのか?
Pain の時代ではなく、Demandにフォーカスを当てる時代
Painは大事。特に新高校などにおいてはPainは大きい
ビタミン剤より、鎮痛剤みたいなのは本当にそ思う。
一方そこまで現状の日本などにおいてPainはあるのか、明確なPainを日常時で感じることはあるのか
SupplyでDemandをこじあけるようなものをしないといけない
一方Sequiaからすると市場創造型は失敗するというが、それは彼らの投資のタイミングだからなのでは
なぜそのような変化があるのか
よほどのテクノロジー変化でない限りは、あんまり意味をなさない?
正解を見つける時代ではなく、正解にする時代
ロジカルシンキングにPainpointを見つけれていた時代っていうのはあったけれどもそういったものは結構限界に近づいてきているのではないか
課題からはじまるものではないという感じではある
Speculative thinkingの考え方
発明は必要の母なのであると行った言葉もスペキュラティヴな考え方だと思う
必要が発明を生むのではない
>イノベーションのスタート地点には、必ずしも解決すべき課題があるとはかぎらない
スペキュラティヴシンキングのようなものに必要なものはなになのかということを考えたときには
遊び心というのが一つテーマになるのではないかと思う
厳密さではなくてもいい、こういうのあったら欲しくないか?みたいなそういった遊び心を考えて実装していくことが必要になってくるのではないか
スペキュラティヴとは全てを逆にすること
需要が供給を生むのではない
課題が先で解決策があとではない
問いに応えるのではなく、問いをつくりだすもの