『知ってるつもり――無知の科学』
2018年4月→文庫本2021年9月
著者は共に認知科学者。
原題は「The Knowledge Illusion:why we never Think Alone」
この本以降、
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の興味は個人の知的生産から、共同の知的生産に向かっていった感じがする。
一緒に読みたい本
目次
>人間の知性は天才的であると同時に哀れをもよおすほどお粗末で、聡明であると同時に愚かである。
それはなぜか?
p.12
>おそらくなにより需要なのは、個人の知識はおどろくほど浅く、この真に複雑な世界の表面をかすったぐらいであるにもかかわらず、たいていは自分がどれほどわかっていないのかを認識していない、といういことだ。
知識の共同体を形成し、それを利用している
にも関わらず、
知識の錯覚
人間は無知である、というのではなく、人間は自分が思っているより無知である、ということ
p.16
実際にどれだけ知っているかを検討するまで、知らないことに気がつかない
思考の目的は行動
思考プロセスは、重要な点のみを抽出する
パターン認識
新しい状況への対応において、詳細な情報は不要。経験から学び、一般化できれば、新しい状況へと適用できる。
>人類が成功を収めてきたカギは、知識に囲まれた世界に生きていることにある。知識は私たちが作るモノ、身体や労働環境、そして他の人々のなかにある。私たちは知識のコミュニティに生きている。
p.21
認知的分業と志向性の共有
認知科学と神経科学は別物
知識は他者と共にある(知識のコミュニティ)
認知の単純化→個人の成果と偏って認識されてしまう
知能指数よりも他者と協力する能力
フラクタルな複雑さとカオス理論
複雑さを認識できないから、それに耐えられる。
私たちは因果を推論する
二種類の方向性:予測推論と診断推論
p.77
物語と半事実的思考
脳内シミュレーションとミニ物語
物語はアイデンティティを形成する
p.79
p.117
>言葉を換えれば、知性は脳の中にあるのではない。むしろ脳が知性の一部なのだ。
p.121
コミュニティとしての思考と熟慮
>ここから読み取れるのは、直感は私たち自身が生み出すものであり、それは個人の思考プロセスの産物であるということだ。一方、熟慮は違う。熟慮の一つのやり方は、他者と話すように、自分自身と語り合うことだ。熟慮はあなたを他者と結びつける。集団は一緒に直感を生み出すことはできないが、ともに熟慮することはできる。
道具と知性
>つまるところ思考は、身体を通じてしか世界を認識できない。思考の材料となる情報は目から、耳から、鼻から、そして他の知覚器官から入ってくる。相互作用は逆方向にも働く。思考は何をすべきかを判断し、それを身体に伝える。
>脳と身体、そして外部環境は協調しながら記憶し、推論し、意思決定を下すのだ。知識は脳内だけでなく、このシステム全体に分散している。思考は脳内の舞台だけで起こるわけではない。私たちは賢く行動するために、脳、身体、そして身の回りの世界にある知識を使って思考する。言葉を換えれば、知性は脳の中にあるのではない。むしろ脳が知性の一部なのだ。知性は情報を処理するために、脳も使えば他のものも使う。
道徳的思考停止
説明マニアと説明嫌い
「思考は集団的行為」
人は何故、自分の理解度を過大評価してしまうのか?
にもかかわらず私たちが高度な文明社会が営めるのはなぜか?
人の脳は柔軟な意思決定装置である。
パターンを理容師、他の知識を利用する
詳細なデータを記録しておくための装置ではない
トースターの作り方一つとっても、知らない知識が大量にある
協力ができる、ということ。サピエンス全史と共鳴。
集団的頭脳
ミツバチ・マインドセット
発信することの意味
単に無知なだけでなく、「思っているよりも無知」(自分が何を知らないのかを知らない)
無知の知の逆。
2021/11/1
2021/11/8
ピーター・F・ドラッカーは、知識労働者は他者に貢献してはじめて仕事が為せると喝破したが、見事な指摘である。あらゆる知識は、「他者と共にある」。"we never Think Alone"。
また、知識のコミュニティはそこに所属する個人の考えや価値観に強い影響を与えるので、個人を「事実」で説得してもほとんど効果がない。一番レバレッジがかかるのが、知識のコミュニティを変えることだ。だからこそメディア(マスメディア)は第四の権力と呼びうるし、情報プラットフォームは第五の権力と呼びうる。どちらも知識のコミュニティに強くかかわっているから。
幸福と思考の関係
思考は行動が必要なときに要請される。幸福な状態は変化を望まないので、そのときは思考が必要ではなくなる。
しかし、思考を抑制すればそれが幸福と言えるかは、ちょっと微妙なところ。