『書物と貨幣の五千年史』
目次
> 2.スクショとデジタルトランスフォーメーション
> 3.インターネット革命が生み出したブラックボックス
> 2.現代思想はブラックボックスをどう扱ってきたか
『書物と貨幣の五千年史』の第三章「人間は印字されたページの束である」に出てくる第三次過去把持の話は、すべノーの「ノート」の話になる。
第三章の中盤から一気に畳みかけるような感じになってきた。
記録が溢れ返る社会は、ブラックボックスに取り囲まれた社会だと言える。そういう社会の中で「自分のノート」を取ることは、可視化された内実を伴う箱を作ることであり、──農家が土地を所有するのと同じで──疎外を防ぐ有効な手段となる。
たとえばノートツール一つとっても、ブラックボックスはさまざまに現れてきて、自分の情報を好きに保存できるという点では可視化されていても、その情報がどのように保存されているか、という点ではブラックボックスだったりする。テキストファイルはその不可視性が低いし、手書きならもっと低くなる。
電子的な処理をされる決裁。中身がわからないままに使えてしまうそれら。その無理が起こす歪さは、基本的に現場が対応することになる。リテラシー不足のツケは、誰が支払っているのである。
みずほのシステム担当者6割削減とか、さっきのマクロ効率化が評価されていないことだとか、何か根本的なレベルでコンピュータに関する技術が軽視されているようなところがある。
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