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『啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために』
『反逆の神話』
『資本主義が嫌いな人のための経済学』
出版社 : NTT出版 (2014/10/24) ISBN:4757143192
>いまや西洋世界は〈右翼と左翼〉ではなく、〈狂気と正気〉に分断されている。民主主義や市場経済といった近代社会の礎が危うくなってきている。状況を打開するためには、〈啓蒙思想〉の再起動が必要だ――旧来の啓蒙思想の行き詰まりを保守主義の再評価や認知科学・行動経済学などへの参照を通して反省し、理性と直感、知と情を束ねる新たな世界観を提示する。気鋭の哲学者の渾身の1冊。

目次

>序章 頭vs心
>
> 第1部 古い思考、新しい思考
> 第1章 冷静な情熱 理性――その本質、起源、目的
> 第2章 クルージの技法 あり合わせの材料から生まれた脳について
> 第3章 文明の基本 保守主義がうまくいく場合
> 第4章 直観が間違うとき そして、なぜまだ理性は必要か
> 第5章 理路整然と考えるのは難しい 新しい啓蒙思想の落とし穴と課題
>
> 第2部 不合理の時代
> 第6章 世界は正気をなくしたか ……それとも私だけ?
> 第7章 ウイルス社会 心の有害ソフト
> 第8章 「ワインと血を滴らせて」 現代左派の理屈嫌い
> 第9章 フォレスト、走って! 常識保守主義の台頭
>
> 第3部 正気を取り戻す
> 第10章 砲火には砲火を あるいは、なぜブタと闘うべきではないのか
> 第11章 もっとよく考えろ! その他の啓蒙思想からの無益な助言
> 第12章 精神的環境を守る 選択アーキテクチャー再考
> 第13章 正気の世界への小さな一歩 スロー・ポリティクス宣言
>
> エピローグ

啓蒙思想を再起動する
18世紀の啓蒙思想を、認知科学・行動経済学の知見を参照して再起動させる。
啓蒙思想とは?
Enlightenment
>啓蒙思想(けいもうしそう、英: Enlightenment、仏: Lumières、独: Aufklärung)とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して啓蒙主義(けいもうしゅぎ)ともいう。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光」あるいは「光で照らすこと」である。自然の光(ラテン語: lumen naturale)としての理性を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。
エリートだけでなく大衆も含めて人間を無知と迷信から解き放つ、という試み。
啓蒙思想1.0は何が問題だったのか
『反啓蒙思想』
『闇の自己啓発』
『暗黒の啓蒙書』
反知性主義、ポピュリズム、
「啓蒙思想2.0」という表現の含みは?
「2.0」の意味
インターネットがもたらした変化との呼応(図書館からグーグルへ)。非集権化されたモデル。
『21世紀の啓蒙 上:理性、科学、ヒューマニズム、進歩』との違いは?

第1部 古い思考、新しい思考
理性は万能ではないがパワフルなツールである。それが文明を構築してきた。
理性とは何か、それはどんな性質を持つか、なぜ理性が必要か
文明と理性
『ファスト&スロー』
『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』
『独学大全』
『思考の技法 -直観ポンプと77の思考術』

第2部 不合理の時代
非合理主義的な現在の環境がどのように出来したか、それを変えるために何ができるかを解き明かす。
現代はどういう社会になっているか
『WILLPOWER 意志力の科学』
『反共感論』
『21世紀の道徳』
『感情化する社会』

第3部 正気を取り戻す
どのような対策がありうるか
来るべき社会像はどんな姿か
『Humankind 希望の歴史』
『ゲンロン戦記』
『ヒューマン・ネットワーク』
『コンヴァージェンス・カルチャー』


真実っぽさ(truethinesss) アメリカのコメディアン、スティーヴン・コルベア 2005年
真実だと感じられることが重視される。

『ウンコな議論』哲学者ハリー・G・フランクファート 2005年
嘘とウンコ議論の区別
>真実告知のゲームからあっさり降りてしまうことだ。ウンコ議論者は体裁をつくろうともしない。

デイヴィッド・ブルックス『ニューヨーク・タイムズ』コラムニスト『人生の科学』

>ブルックスによれば、保守とリベラルの違いは、リベラルのほうが合理的だとか、ものごとを考え抜くことに熱心というのではない。リベラルのほうが自己欺瞞に陥っているというだけだ。彼らは自分たちが合理的だと思っているが、その実、ほかの誰もとまったく同じように感情的で直感に頼っている。こうした思い込みはそれだけなら害はないが、ともすると、おごりにつながっていく。彼らは世界を予知し、支配し、変える自らの能力を過信する。このためリベラルは人間の条件を改善すべく、莫大な費用を要するのに無益な計画を従事し、みんなの暮らしを以前より悪化させるのが常なのだ。

>この社会の三つの主要な制度的特徴──市場、代表制民主主義、人権──は、どれも採用されたときには、まったくクレイジーだと、人間性に絶対に反している(そのため人類史上ほぼずっと拒まれてきた)と思われていた。

>進歩的な社会改革は、本来、複雑で達成しがたく、妥協、信頼、集団的行動が求められる。だから「心」だけに基づいて達成することはできない。膨大な量の「頭」も要求されるのだ。

>課税の論理──市場は一定の財を提供できない理由があり、国家が代わりを務めねばならない──は頭で理解することであり、心で感じることではないのだ。

オキュパイ運動の限界

>オキュパイ運動の問題は、よいスローガンを欠いたことではなかった。ティーパーティーとオキュパイの違いは、ティーパーティーのスローガンは政策に直結しているため、支持者を政治プロセスに参加させて、代表者にきわめて具体的な要求を行いやすかったことだ。オキュパイの問題は、努力しなかったわけではないが、スローガンの枠を越えられなかったことだ。それはこの運動の参加者が求めるタイプの変革が、本質的により複雑で、賛否が分かれ、スローガンからたやすく引き出せないものだったからだ。

→精神的環境の変化が必要
プロパガンダに反プロパガンダをぶつけても大きな変革は生まれない。

半知性主義、反合理主義。

>十八世紀の啓蒙思想を鼓舞した理性という概念の主な欠陥は、それがまったく個人主義的なものだったことだ。理性は個人の脳内に宿ると考えられていた。そのせいで、個人の物理的および社会的環境で何が起こっているのかに注意が向けられなかった。新たな啓蒙思想の発展には、理性は多様な個人にまたがる非集権的で分散的なものであるという認識が必要だ。自分だけでは合理的にはなれない。合理性は本来、集団的なプロジェクトである。合理性の政治学が要求されるのは、まさしくそのためだ。

理性→デイヴィッド・ヒューム「冷静な情熱」
合理的思考は、完全に明示されうる。したがって、思考能力と弁明や論証および正当化といった行為には関連がある。
答えが間違っていると気がついて、はじめてシステム2が起動する。
直列処理で、言語に依存し、明示的で、ワーキング・メモリを活用すること。
合理的思考は明示的であり、普遍的である。

>クルージとは既存の器官を、奇妙であっても効果的なかたちで新しい目的のために再利用することを可能にしてくれる解決策


>しかるに人間の脳ならではの特質は、内蔵された計算能力にあるのではなく、環境にある要素を開拓して、自らの認知(そして動機づけ)システムの機構部分に変換する能力にある。

拡張された心論。

>消化システムに腸内細菌が含まれるのと同じ意味で、「認知システム」にはクラークが外的「足場(作り)」と呼ぶものが多く含まれる。鉛筆、文字、数字、付箋メモ、スケッチ、紙の束、ネット検索、そして何より重要なのが他の人たちだ。これらは受動的な記憶装置というだけではない。合理的思考のプロセスの可動部分なのである。

思考と消化、判断と手洗い。

きわめて効率のいい人の七つのクルージ
独りになること。静かな場所。なじんだ環境。セックスを連想させるものがない。健康、空腹が満たされていて、休息がとれていること。

関係性を見いだすのは、自然な力。否定的に考える能力は人工的な力。

内省の限界は、内省ではわからない。だからこそ集団で考える。