「諦める」と「選ぶ」
>私だったら「どれをあきらめるか」のように考えるのではなく、「どれを選ぼうか」と考えるかもしれません。それは、現象としては同じことに見えますが、私の中ではずいぶん違うからです。
結城メルマガYMM362
「どれをあきらめるか」と「どれを選ぼうか」は、同じように思えるが、
心理的には大きく違う。
「あきらめる」に心理的なフォーカスが置かれている場合、そこから演繹されるのは「
捨てる」という行為だ。
その性質は、捨てることを忌み嫌う傾向を生む
だから「物を捨てるための技術」は説かれるが、「物を貯めるための技術」は説かれない
「捨てる」にフォーカスすると、その行為が難しくなり、またストレスも強くなる。
「選ぶ」(
選択)に心理的なフォーカスが置かれている場合、そこから演繹されるのは「得る」という行為だ。
これは損失回避性を刺激しない
「これを選んだら、別のものが選べなくなるな」と頭を過ぎると、損失回避性が刺激されるが、選んで手に残るものに再びフォーカスをうつせば、多少は緩和される
だから、まったく同一の行為を行う場合でも、「どれをあきらめるか」と考えるよりは「どれを選ぼうか」と考えた方が、心理的には(広い意味での)
抵抗は少なくなる(ゼロになるかどうかは人それぞれだ)。
また、「あきらめる」という選択は、永久なる別れイメージさせる。
たいして「どれを選ぼうか」は、一時的な選択をイメージさせる。
選択されなかったものは、「今回は選ばれなかった」のような
保留感が漂う
この違いも、損失回避性への刺激に影響するだろう。