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システムの全域化による生活世界の空洞化
システムの全域化による生活世界の空洞化

ウェーバーは、生活世界がシステムに置き換えられる動きを近代化形式合理化と呼ぶ
生活世界の空洞化が起こった経緯
欧州では、これらの動きの是非が議論されてきた
結果、便益の増大は良いことだが、絆の崩壊は悪いこと、という結論
→ 多少の便利さの犠牲を許容
システム全域化への制約
1980 年代半ばの、スローフード運動がきっかけ
同じ時期、アメリカではアンチ・ウォルマート運動
アメリカは、欧州と違い、システム全域化の徹底によるシステム全域化の副作用を取り除く方向
例えば監視社会
快不快による制御
ベースは、宗教的心性に基づく営み (政府による市場の補完はそれを阻害するという考え)
宗教的共和主義の構えはアソシエーショニズムと結びついている
日本では、システム全域化を懐疑する運動は広がらなかった
難点
日本にはアソシエーショニズムはない
不安に耐えるためにすがる先である超越神の不在
そのくせ、血縁主義の文化もないし、階級ごとにハビトゥスが違う階級文化もない
まともさは社会相対的
我々は実存の問題社会の問題を混同しやすい

参考文献