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Keichobotは言語化しKozanebaは一次元化する



頭の中がゴチャゴチャとしているとき
「あれとこれが関係するのだよな」というネットワークになってて、それがスムーズに一次元化されたストーリーにならないとき
まずその「関係」を自分の脳内から外に吐き出して「消えない状態」にする
それからそれを対象物としてながめることで「離れて(ディソシエイト)」「俯瞰的に」扱うことができるようになる
脳内で考えているだけでは思考と自分が渾然一体に合一しているので、外に出して対象物化(客体化)して主体と分離することが有益。(主客分離)

つまり
Keichobotはまだ言葉になってないモヤモヤを言葉(シンボル)にすることを促し
そのシンボル間の関係を質問することで「関係」を明確化する
「関係」が沢山あると「ゴチャゴチャ」になる
Kozanebaは関係を客体化し、それを一次元的なストーリーにすることを支援する

KJ法は、まだ言語化されてない「関係」を「なにか関係ありそうだから近くに置こう」という形で脳の外に出して客体化する手法だった
表札をつけて束ねる」は、事後的に「関係ありそうなもの」を眺めて「関係」を言葉にする作業だった
これは「体験過程と意味の創造」の言葉で言えばRELEVANCEを集めたことでフェルトセンス(=なんか関係ありそうだという言語化されてない気持ち)の言語化が促されたということ
Kozanebaでは近接によらず「線を引く」ことによって関係の存在を明示できるようになった
そのためKJ法ではできなかった「既に既存の構造がある場合にそれを生かしつつ別の構造化をすること」が可能になった


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これは関係がたくさんあるという意味のゴチャゴチャではない