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金銭感覚
金銭を媒介にしたメカニズムを設計するとき、暗黙に1ドルの価値は誰に取っても同じだと仮定してるけど、この仮定は正しくないね。

たとえばNドル入れると50%の確率で0ドル、50%の確率で4Nドルになる装置があるとする。この装置を1回だけ使えるとする。いくら入れるか?

期待値を最大にするなら全財産を入れるのが良い。借金ができるなら限界ギリギリまで借りたらいい。合理的に考えると当然そうだよね?だけどほとんどの人間はそうは振る舞わない。

可処分所得の少ない人はリスク許容度も低くなりがち。
たとえ実際の可処分所得の範囲に収まっていたとしても、リスクを恐れる心が強く働いてチャンスを掴むことができない。
たとえば先ほどの装置と100万円とを渡して「全部入れてもいいし、いくらか残しても良い」と言ったとする。合理的なのは当然100万円入れることなのだが「半分残しておこう」という人がたくさんいそうだ。


これは金銭感覚の事例だがリスク許容度の事例ではないな
これは子供の側は「欲しいから買う」「可処分所得に収まってるから買う」だと思う
親の側がそれに「複利で運用したら20年後には4倍になる」と言っている
これは「-1万円 + ユニフォームを得ることの心情的価値X」を「20年後の+3万円」と比較している
親の側は子供が将来の利益を理解しないと嘆いているが、実際は親の側がXを低く見積もってる


これは可処分所得な話