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西田幾多郎による現象学解説

真理の概念
模写説
明証説
批判主義
実用主義
新実在論
現象学

フッサール
「立場」
Einstellung
人がものを見るときに、なんらかの立場でものを見る
物理学者は物理学の立場から、芸術家は芸術の立場から
現象学ではこの立場を捨て去りたい
ausschalten 排除
reines Bewusstein 純粋意識
現れるものを現れるままにschauen 直視 する
そのときに見られるのがWesen 現象の本質
フッサールの主張
意識は常に志向的
直観によって与えられた対象を志向している
その志向作用が充実されるのが真理
西田
模写説的だが、明証説を復活させた人とも言える
Sein und Zeitを書いたハイデッガーは彼の弟子

何かの対象を志向する場合、意味が志向されている対象と一致する場合としない場合がある、一致したときが「真」である、というのが素朴な模写説
nishio例えば現実にあるニワトリを模写して絵を描くことに例えると、間違えて足を4本書いてしまった絵は現実と一致しないので「偽」である
「真か偽か」は誤った二分法であって、現実には「うまく模写できている度合い」のあるグラデーションだと思うけどね
西田は「真理が思想と外界の実在の一致だという模写説の考え方は、外界の実在を正しく知らなければ思想の真偽を決定できない」と指摘している
nishio「真か偽か」は誤った二分法であって、誰も外界の実在を正しく知らないから社会に実装して期待した通りに動作するかを観察せねばならない
個人的にはこの考え方に共感する、これはプラグマティズムの考え方

デカルトによって唱えられ、スピノザ、ライプニッツに受け継がれた
カントの批判主義によってしばらく忘れ去られた
フッサールの現象学によって復活された
真理とは「そう考えざるを得ない」もの
歴史的事実のような「そうならなければならない論理的必然性」のない偶然の真理を説明できない
ライプニッツはこの議論のために「理性の真理」(truth of reason)と「事実の真理」(truth of facts)を区別した
nishio当時17世紀なのでまだキリスト教的考え方が強く、「偶然などというものはなく神の意思によって選択されたのである。だから事実の真理を基礎付けるのは選択の意志である」とか言い出すので21世紀の仏教徒の西尾としてはドン引き
ここから100年くらい経ってカントが未成年の状態だ、とか純粋理性批判だ、とかやり始める