>nishio 100分de名著の「偶然性・アイロニー・連帯」を読み返して考えてる。ローティの「バザールとクラブ」を「建前で喋らないといけない場」と「本音で喋れる場」に対応づけることによって日本人にとって理解しやすくなる反面、それで終わりにすると「正しさ」のレイヤーが抜けてるという指摘に関して。
>nishio 「公的な社会正義」と「私的な利害関心」が対立するときにどうするべきか、という点に関して「どちらを取るか、どちらが優先されるべきか」という問い方は誤った二者択一なのであって、「公私は統合する必要がない、むしろ統合すべきではない」というのがローティの結論。(NHKp.39-40)
>nishio これはつまり「本音と建前がある」という二つの相反するものの併存を認める日本的価値観とも共通している。より詳細に言えば「本音が本当の気持ちで建前は嘘」なのではなく「建前が社会生活を行う上で必須のものであり、不必要な本音を出すな」でもなく、本音と建前の両方に対等に価値があるということ
>nishio バザールとクラブ、エスノセントリズム(自文化中心主義)、個人の自由を重んじる民主主義(リベラル・デモクラシー)、西洋文化、多様性、相対主義、両立困難。多様性の専門家としての人類学者、エスノセントリズム擁護者、レヴィ=ストロース、ローティ、唾棄すべきもの、普遍主義的価値観
>nishio 自由、平等、基本的人権、ローカルな地域における偶然性の産物、文化的帝国主義者、諸価値の狭間で思考停止、語が流通するコミュニティを袋小路に追いやる、この辺の話テクノロジーに否定的な人が肯定的な人を蔑称として「加速主義者」と呼んでる昨今の問題にも重なるね
>nishio レヴィ=ストロース「エスノセントリズムはむしろよいもの」他の価値観に対する免疫、防御性。つまりこれは防御力がないと少し強いものに侵略され上書きされて一様で均質な「悪い均衡」に至るので、自文化に実際よりも高い価値を感じるバイアスの存在は文化的多様性を守る上で有益な働きがあるということ
>nishio あ、書き忘れてたけど(NHK p.39-40)と呼んだのはこれで、100分de名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』
>nishio レヴィストロースはエスノセントリズム忌避によって多様性を維持するための免疫力が低下してしまったことが問題だと考えている。これは最近の「E/Aだのe/accだの争ってるけどどちらも多様性を損ねる方向じゃないか、多様性を守るためのd/accが必要」というVitalik Buterinの主張などとも重なって見える
>nishio 反エスノセントリズム、ローティ「ポストモダン・ブルジョワ・リベラリスト」PBL3つの個人の中での両立。ローティ自身は言ってないがギアツが「反-反エスノセントリズム」を見出した。自文化への忠誠、エスノセントリズムの称揚、道徳性の源泉(ここはよくわからない)
>nishio あーそうか、さっきの「免疫力が必要」の話はレヴィストロースの考えであって、ローティはそうではなくリベラル民主主義の延長としての考えを述べたことに対してギアツが「懐古的なエスノセントリズムじゃん」と言って「違う、反-反エスノセントリズムだ」となったっていう流れか
>nishio 考えたことや本の中のキーワードを書き留めながら進んできて、もう50分経ってるので、今日はこの辺りで一旦風呂敷を畳もう
>nishio 「本音と建前の両方に価値がある」というところまで考えた後「じゃあローティはクラブとバザールについてどんなことを言ってるのかもっと詳しく見よう」と思って「バザールとクラブ」を読み始めたが、本編の前の議論の状況の説明のところで今日の探検は終了した