「渾沌をして語らしめる」勉強会
「渾沌をして語らしめる」勉強会
2022-06-24
サブタイトルを削ると手法としてのKJ法と区別がつかないので以下では「混沌をして語らしめる」「混沌本」と呼ぶ
これは言語化のプロセスをアメリカ人哲学者の視点から見たものだった。
今回以降は日本人の文化人類学者の視点から見ていこう。
川喜田二郎の著書
「発想法」が有名だが、これはかなり初期の著書である
「
パーティー学 人の創造性を開発する法」(1964年、44歳)
「
発想法 創造性開発のために」 (中公新書 1967年 改版2017年、中公文庫 1984年)
ここでKJ法という名前で紹介された
「
続・発想法 KJ法の展開と応用」 (中公新書 1970年)
「発想法」がよく売れて「KJ法の訓練法を教えてくれ」となって書かれた
データを組み立てる方法としてKJ法を作って普及したが、うまく使いこなしている例は稀、それはなぜなのか?手前にある「情報を集めるところ」が問題、という話
> KJ法の素材になる元ラベルのデータの質が悪いと、結果はどう救いようもないものになるわけだ。(p.29)
パーティ学の出版がKJ法誕生の瞬間0歳とするなら、
2歳で「
発想法」が出て「KJ法」という名前になった
13歳で「その手前の情報を集めるところが大事だ」となって
「知」の探検学が出た
世の中の大部分の人は2歳時点の本ばかり読む。
商業的な理由だろう。
文庫になって大量に流通してる「発想法」は入手しやすいし、安い。800円弱。
「混沌をして語らしめる」は定価6800円で、今は9000〜15000円くらいの相場
この「混沌をして語らしめる」は20年以上の社会との相互作用で磨き上げられたもの。
説明の仕方なども色々とアップデートされている。
「発想法」を読んで、よくわからなかったという人は多い
「混沌をして語らしめる」の内容がそういう人に届くとより良い理解のチャンスになりそう
書籍「KJ法 混沌をして語らしめる」
600ページ弱ある
ざっくり章だてを見よう
まず「序論」「人間行為の首尾一貫性」で9%
次に「W型問題解決のプロセス」が12%
問題解決のプロセスはどのような構造をしているのかの話
それからやっとKJ法が出てくる
「狭義のKJ法一ラウンド」が9%
小さな章が2つ
「評価と衆目評価法」4%
「KJ法のグループ作業」3%
「取材の方法」13%と結構大きい
探検ネットは「発想法」の時代にはまだ生まれてなかった手法
次に「探検ネット再論ーKJ法の実務化」9%
探検ネットに関してさらに深く論じている。
「KJ法の実務化」と呼んでる
川喜田二郎本人も9割程度の作品はKJ法ではなく探検ネットで作っている
小さな章「会議討論法」4%でブレインストーミングなどの話
大きな章「累積KJ法」13%
「発想法」などで語られていた6ラウンドKJ法についてしっかりと語っている章
なお川喜田二郎の5年間1000枚の作品のうち累積KJ法を使ったのは8枚だけ
最大の章「思想としてのKJ法」20%
「展望」4%
つまり大まかな全体像としては
思想が1/4、KJ法が1/4、取材と探検ネットが1/4、W型問題解決プロセスが1/8、細かい関連話題が1/8
「KJ法」という言葉の知名度に比べて「W型問題解決」や「探検ネット」はあまり知られてない
とはいえW型の話は「発想法」の冒頭で既に出ているからKJ法を知っててW型を知らないと「発想法を読んでないな」となる試金石
探検ネットは1969年から徐々に形作られた
1970年の「続・発想法」では探検の重要さに軽く触れる程度
1977年の「知の探検学」には「探検ネット」の見出しがある
1981年に探検ネットの実施形態が細分化されて「考える花火」という名前がついた
1986年の「混沌をして語らしめる」では「KJ法の双子の弟」と表現してい(p.327)
Q: 「考える花火」ってどういうイメージだろう?
A: 「花火」に「中央に置いたテーマから四方八方に飛び散る」イメージがあって、それを「考える」プロセスに使う、というニュアンス
狭義の「KJ法」に視野狭窄するのではなく、周囲の概念との関係性を見ていくと理解が深まる
KJ法が生まれた理由
KJ法は目的ではなく手段
なので「KJ法を使う目的」が明確になると良い
川喜田二郎は何を目的としてKJ法を作ったのか
3つの痛切事がある
仕事のため
生活のため
現代の危機の打開

これは個人的にはピンとこない
仕事とはなんであるか
作業
一仕事
仕事
川喜田二郎は文化人類学者
フィールドワークが必須
多種多様なことを観察し記録する
この記録したものを「データ」と呼ぶ
データの大部分は数量化できないもの
この大量で多種多様なデータをまとめなければならない
これが川喜田二郎が仕事の上で直面した課題だった
生活
毎日の人生にどのように処すか
自分を取り巻く状況をどう掌握すればよいのか
しかも自分一人が判るだけではなく、周囲の人も判る必要がある
現代の危機の打開
一兵卒として第二次世界大戦に動員された経験から国際平和に強い関心がある
「仕事の壁を破りたい」の「仕事の壁」とは
判断力に自信が持てない
自分の専門と熟練の世界に逃げ込む
セクショナリズムを引き起こす

フィールドワークと同じように「詳しくない分野に飛び込んで、理解すること」が大事
生活の混乱
合議、会議、なかなかまとまらない
仕事に追われる
人間関係トラブル
情報の洪水
逆に、判断力を使わせない単純労働

「
判断する力」が大事
データをまとめて判断
混沌それ自体に語らせる(1.2.1 p.10)
>既成概念や通念や希望的観測を、初めから現実にあてはめて、判断を曇らされてはならない。(p.12)
現実はその逆が支配的
「アテハメ主義」
信念や願望と判断は別のこと
判断とは
p.23
この「行為」のことを「一仕事」とも呼んでいる
一仕事の一二段階
一仕事の一二段階(2.6 p.28)
一仕事の一二段階
1: 問題提起
2: 情報集め
3: 整理・分類・保存
まとめる
4: 要約化
同質のデータをまとめる
例: 統計、一覧表
5: 統合化
異質のデータをまとめる
日本語の「まとめる」は同質のデータの要約・分析と、異質のデータの統合の意味もごっちゃになっているので言葉とステップを分けた
6: 副産物の処理
要約化・統合化の過程で(特に統合化の過程で)副産物が生まれる
発見、示唆、仮説
7: 情勢判断
1~6までは「状況把握」
「おのれを空しくして」先入観で早まった判断をせずにデータを観察する必要がある
このステップで態度を切り替える
状況把握を踏まえて自分ならどう考えるか
「おのれらしく」
主体的判断
8: 決断
課題の解決策をやるかどうか決める
計画
9: まとめの計画
10: 手順の計画
「計画」の概念を分割してる
計画通りに仕事が完了したら何がまとまりとしてできるのか
「青写真」と表現されてるけど、これは若い人に伝わらない言葉かも
「設計図」といえば良いか?
「どういう構造になっているか」と「どこから着手してどう進めていくか」を区別している
11: 実施
12: 結果を味わう
後に「吟味検証→鑑賞」だと考えるようになった
W型図解
出自は違うが、事後的に同じものを別の形で描写したものだと気づいた
どちらも問題解決プロセス
3章 W型問題解決のプロセス で詳しく見ていく
その前に一つ
一仕事の達成が大切
達成と達成体験の重要性(2.12 p.40)
一仕事
始めから終わりまで
自分の主体性と責任のもとに
達成する
これが大切
なぜ達成が大切か?
達成の果実
達成のプロセス
自分の主体性と責任のもとに果実を求める
分担する場合、自分たちが首尾一貫して物事の達成を目指している自覚
全体としての首尾一貫性
盲目的 作業分担
セクショナリズム

首尾一貫と「当初決めた計画に固執」は違う
新しく得られた情報に応じて柔軟に計画を変えつつ
新しい情報に振り回されて軸がブレないようにする
Q1: 全体としての首尾一貫性とはサイボウズのいう「理想への共感」に相当するものだろうか
Q2: 「Next Actionに合意/納得してるか」ぐらいのことでは
A: 「一仕事」のスケール感と関連すると思う。
例えば3ヶ月くらいの一仕事をイメージした場合、Next Actionを決めるタイミングは何度もあると思う。
この場合に各タイミングにおいてメンバー全員が合意していたとしても、時間軸方向で判断がブレブレになってるケースはあり得る。みんな直近に飛び込んできた情報にばかり目を向けているようなケース。
サイボウズがメンバーに対して「チームワークあふれる社会を創る」という理想への共感を求めるのは、そういう時間軸方向のブレを減らす働きがある。
例えばパートナーが要件Xを求めたとして「パートナーが求めるから要件Xをやるんだ!」となるのと「パートナーが求める要件Xは、理想の実現に対してネガティブな影響があるから、なんとか外せないか議論していこう」となるのの違い
一方でここでの「首尾一貫性」とサイボウズの「理想への共感」はイコールではない
「理想」は「一仕事」の「始めから終わりまで」と無関係に長期的に置かれている
一仕事の首尾一貫性は、一仕事の間だけの話
一仕事を一緒にやるメンバーと共有する価値観
サイボウズにとっての「チームワークあふれる社会を創る」に相当するものを、一仕事をするメンバーとの間で作り上げるイメージ
例えば僕が社外の人とイベントの計画を議論する中で「このイベントの参加者が、終わった後『一人でもう一度やってみよう』と考えるといいね」となったとする。これは一仕事のチームメンバーと共有されてる「理想」と言えるだろう。
プロセス
首尾一貫した達成の体験=達成体験
心の充実
人間的成長
寛大さと包容力
愛と連帯の発生
環境との連帯

「後半がよくわからんなぁ」と思う人も多そう
「寛大さと包容力」に関して
「一見矛盾して見えるもの」も即座に拒絶するのではなく一旦溜めておくと、後から辻褄の合う解釈が発見される
これを繰り返し体験する事で「当たり前のことだ」と認識するようになる
「反対意見」や「自分の考えと矛盾する意見」に対して、反発するのではなく「面白いから入れておこう」となる
「連帯」に関して
KJ法に特有のものではないと思う
一つの目的に対して協力して知恵を絞ったメンバーの間には、相手の視点に対する理解や共感が育つ
自分の作ったラベルがみんなで作っている大きな図解の中で使われる体験
周囲のラベルと調和を持って溶け込んでいる
社会への受容のメッセージ
↔疎外感
Q: 「環境との連帯」西田哲学っぽさがある
A: 川喜田二郎の著書から西田哲学への言及はちらほらあるのでこれも関係があるかもしれない
果実とプロセスの相乗効果
実利派
果実を得ようと焦る
早く結果を得るために問題提起やフィールドワークをしっかり行わない

目立つ「ラベルを並べる」的なところだけやりがち
これではKJ法は活きない
「KJ法は役に立たない」という意見になる
心情派
得られる実利を軽視する
よい果実を得るための目標設定を怠る
「結果に捉われてはいけない」
良い果実を得たいという切実さあってこそ 充実した達成体験
かつて体験した「達成体験」を目的化してしまう
達成体験が弱くなる

ここの「プロセス」と呼んでるものは狭義のKJ法のことではない
〜とつっこんでおかないと「KJ法を手順通りに行うことが大事だ」タイプの勘違いにつながりそう
この話のスコープは狭義のKJ法ではなく「一仕事」である
やることを決める「決断」の前に「判断」が必要という話
その判断は「データをまとめて判断」
詳細に言えば「問題提起」「情報集め」から始まり、データをまとめて、状況を把握してから判断する、ということ
また実施の後に結果を味わうこと
この位置に
成功は成功のもとという面白い話があったが今回の話の流れには合わないので割愛
W型問題解決のプロセス
第3章
p.33
思考レベルと経験レベル
頭の中だけで考える作業=思考レベル
物事を観察したり、物事に手を下す作業=経験レベル
この二つを行き来して問題解決が行われる、というモデル
この図でDの点に「評価」「決断」が置かれている
この「評価」は一仕事の一二段階の「情勢判断」に相当する
なのでその手前の部分が「状況把握」に相当する
そこ以降は「一仕事の一二段階」の計画、実施、結果を味わう、に相当する
全体像
前半部
決断の前にデータを集めて、データをして語らしめるフェーズが必要だという主張
この「データをして語らしめる」に対応する既存の適切な言葉がない、と書いている(p.54-55)
「おのれを空しくしてデータをして語らしめてまとめる」(p.57)
「発想法」では「発想」と書いているので、それが川喜田二郎本人の考えとは異なる解釈のされ方をしてしまって不満なのだろう
2015年 JEITAでの講演 by 西尾
PDCAサイクルはPはどのようにして生まれるかについて語っていない
W型問題解決モデルとU理論は共に「Pの手前に何が必要か」にフォーカスしている、という話
川喜田二郎自身はPDCAではなくPlan, Do, Seeという言葉を使っている
なぜならPDCAサイクルの誕生が1986年で、この時点ではまだ生まれてないからだ
これは 観察 (Observe), 情勢への適応 (Orient), 意思決定 (Decide), 行動(Act)
決断(Decide)の前に観察が必要としているところがW型問題解決モデルと共通
OODAはアクションの後、即座に次のOが始まる想定
W型はアクションの後、吟味、検証、結果を味わう、があり、得られたものは知識の収納庫にしまわれる
これはOODAがアメリカ空軍の航空戦の文脈から、W型が文化人類学者のフィールドワークの文脈から生まれていることによるタイムスケールの違い
W型問題解決モデルは正しいか?
これは文化人類学者である川喜田二郎の主観的な「仕事観」を描写したもの
川喜田二郎の中でこのように区別されていることを理解することが、KJ法と花火(探検ネット)の違いの理解に有用
西尾の仕事観との比較
「一仕事の中に1回だけWをする」という解釈には違和感がある
ウォーターフォール的
これは図解上の都合かもしれない
ソフトウェアエンジニア的視点
アジャイル・スクラム的仕事観
小さいWがたくさん繰り返されている
小さいWを高速に繰り返すべき
一方で「大きな一仕事」にフォーカスした話だと解釈することもできる
「一仕事」という言葉のニュアンス
小さいWばかりやっているとこうなる
川喜田二郎の考えるタイムスケール
p.437
これくらいの規模が想定されている
Q: の左側は「判断」のための作業だと考えれば、西尾さんのいう小さな W がたくさん、というイメージに納得感ありますね。W の左と右が 1 対 1 というわけでもなくなるけれど。
A: そうです、1対1とは限らない、情報収集のためのプロセスが細かい試行錯誤の繰り返しになる、探検ネットの概念はその方がしっくりくる気がします
1時間ではここまでしか進めなかった
3章までの振り返りと「探検」へのつながり
川喜田二郎は野外観察の結果の大量の定性的データをどうまとめるか悩んでKJ法を作った
これが1967年に「発想法」という名前の本で出版される
これが非常に多くの人に読まれた
たぶん「発想法」というネーミングのせいで「野外観察の結果の大量の定性的データをどうまとめるか」より広い応用範囲をイメージされたから
その結果、この技術の習得の仕方を教えてくれという要求が高まった
>一九六七年に私は 『発想法』という標題の本を書いた。それ以来、この 「発想法」の中核をなすKJ法という方法については、社会の反響が急速に拡大し深化しつつある。その進展にともな って私は、KJ法に関係した、数々の説明をしなければならなくなった。さらには、いかにして この技術を習得するかという訓練上の問題があらわれてきたのである。このようにして今日、訓練体系がほぼおおまかな姿をあらわすことになった。
続・発想法 p.2
KJ法がいろいろな分野で有用であることがわかった、またうまくいくケースうまくいかないケースのデータが川喜田二郎の手元に集まった
川喜田二郎がKJ法を教えることを繰り返している過程で、そもそも手前の「探検」の部分に問題があるケースが多いことに気づく
1977年 「知」の探検学
>ところが、KJ法が表面的に普及しつつあるにもかかわらず、それはどうもまだ本格的に使 いこなされているとは思えない。ひとりでは達者に使いこなしている人びとがかなりあらわれ つつあるが、組織としてみごとに駆使している例は、今なお暁の星よりも稀である。なにがそ の隘路なのだろう。障碍の原因は、いろいろある。けれどもその中で、もっとも重要な原因の ひとつは、どうやら次の点にあるらしい。
> せまい意味のKJ法を 〔C→D〕の 部分だとすると、いくらこの部分だけをうまく克服しても、それに先立つ 〔A→B→C〕の部分がしっかりできないと、せっかくのKJ法が活かされない...KJ法の素材になる元ラベルのデータの質が悪いと、結果はどう救いようもないものになるわけだ。(p.28)
つまりここ
この問題を解決するために「知の探検学」では「探検ネット」を含むいくつもの手法が紹介されている
この「探検ネット」が1986年までの間に大きく発展した
1986年の「混沌をして語らしめる」では「取材の方法」13%「探検ネット再論ーKJ法の実務化」9%と1/4近くの紙面を割いている
探検ネットのことを「KJ法の実務化」と呼んでる
川喜田二郎本人も9割程度の作品はKJ法ではなく探検ネットで作っている、というデータが示される
p.436
つまりこういうこと
現代の社会人が「KJ法的な手法」から達成の果実を得ようとした場合に「KJ法」という名前のプロセスだけに注目するとこの「探検ネット」のことを無視してしまう
探検ネットは「KJ法の双子の弟」(川喜田二郎談)なのに。
この探検ネットを掘り下げていくことが重要
ただし西尾の私見では
物理的な手法に密結合すぎる
「KJ法手帳」にペンで書く想定
2011年に在庫がなくなっている
>もう30年くらい使っている「KJ手帳」も、来年からは使わなくなるだろう。発行元の川喜田研究所の在庫がなくなってしまうそうだ。
1986年から今までの間にパーソナルコンピュータ、常時インターネット接続、スマートフォン、マルチタッチ入力、ペン入力、音声入力など情報の入出力に関する技術が進歩した
今のシステムではこれらの恩恵を得ることができない
体系として整理できていない
これはおそらく20年以上使い続けてきたKJ法の体系(特にW型問題解決モデル)にうまくフィットしないせい
ここまでで一旦終了
時間的余裕がないので次回以降
今回の追加説明をしてから探検ネット・花火の概念の俯瞰をやる
探検型花火・統合型花火
花火日報・考える花火
---未使用メモ
KJ法
KJ法は目的ではなく手段
唯一の手段ではない
正しい、正しくない、ではなく、有用である、有用でない
p.159
数種類が限界
p.251
点メモ
連合
p.255
探検ネット
違う視点から見る
立体的に理解する
脳内に地図ができる
広域地図と詳細地図