>いずれにせよ、それは軽い神経症患者としての「正常者」のイメージを疑うことであるだろう。そして、この「正常者」の近似的存在が社会に蔓延しているとすれば、あるいは、この「正常者」のイメージ(「大人」?)が社会を覆い尽くしているとすれば、もはやそれは「原抑圧」なる概念では説明できないのだから、広く家族も含めた社会領野における神経症化の体制、あるいは抑圧の体制が分析されねばならないことになる。ここに、『アンチ・オイディプス』がマルクスを経由して、資本主義分析・政治分析へと開かれていく必然性がある。 refp.166