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『道徳の系譜』
本来は自己内の「よい」が
キリスト教の隣人愛に見られるような利他的な精神をよしとするように
顚倒されるに至った歴史的な系譜を考察する


第1論文: 「善(グート)と悪(ベーゼ)」、「よい(優良, グート)とわるい(劣悪, シュレヒト)」
「よいグート」の起源は、高位の者が、自分自身に属する力の特性を「よい」と呼んだ
そのような力を持たないことを「わるい」と呼んだ
利他的なものではない
むしろ本質は利己的な性質にある
キリスト教の隣人愛の思想は歪んでいる
本来の「隣人愛」自体は批判していない
まず自分のことを気遣い、次に他人を気遣うのが自然な順序
であるにも関わらずキリスト教の隣人愛はこれを逆転する
他人を害さないのであれば、自分のためのことでも悪いことではないはず



第2論文: <負い目>、<良心の疚しさ>、およびその類いのことども
キリスト教の原罪の観念がいつ生じたか
約束を守る事
罪責の由来は負債
負った責任を果たせないこと
祖先に対する恐怖によって負債の意識が増大し、神という概念に変わる
要するに、恐怖を起源として、神という存在を形成している
キリスト教は、個々人が、唯一神に贖いきれない負債を負っているとする
自分の存在それ自体が、疚しいもの、という発想になる
「悪い」ものは目の前の的ですらなく、自分自身の生存それ自体になる
生を絶対的に否定する


第3論文: 禁欲主義的理想は何を意味するか?
人間の意思は、虚無を欲する
キリスト教に反するような、無神論者たちもまた、実は新しい信仰を持っている
哲学者、科学者、合理主義者、懐疑論者、etc.
彼らはキリスト教の没落後に徐々に出てきた
彼らは、神を信仰することに反対するが、「真理への意思」は禁欲主義的理想をそのまま受け継いでいる
キリスト教の世界観である「神」や「自由」のような概念を解体し、世界を没価値なものとして描き、世界それ自体に意味がないことを証明する
この流れは、キリスト教の理想の反対物ではなく、寧ろその必然的な帰結である
このような流れはニヒリズム的本質の完成態でもある