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本質は見る人によって変わる
>ジャイナ教の伝承では、6人の盲人が、ゾウに触れることで、それが何だと思うか問われる形になっている。
>足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。
>尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。
>鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。
>耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。
>腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。
>牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。
>それを聞いた王は答えた。「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」


>
自分に都合の良い性質だけを取り出して解釈してしまう
日頃考えていることに引っ張られる
本質という言葉は唯一解に聞こえ、他の意見を否定的に見てしまう
暗黙の尺度を持っている


Twitterでよくある
AがBで(Xだ)
CがDで(Xだ)
EがFで(絶対Xだ)
GがH!(Yだー!)
みたいな構文もこれに似てる

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視点という軸で見ると見方を変えれば別物