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新自由主義
小さな政府を望み、競争を奨励する(格差は許容する)
国の権限を小さくするが、その代わり弱者は切り捨てる
「生き残ったやつが、みんなが求めているやつだ」という考え方
格差社会の底辺は努力が足りない。マイノリティはしらん
左派的な悩み右派と左派と保守#61982478774b170000e1d93bがなく開き直っている
強者にも厳しい
公務員=安定もカット
既得権益に厳しいので、中間層がスカッとしてウケが良い
支持層
市場競争に勝つ自信のある人
中間層(下層中流階級)
自民党の主流や日本維新の会はこの考え方

>大雑把に言うと、新自由主義=グローバリズム=小さな政府―である。その三本柱は
規制緩和
自由貿易
>(ヒトカネモノが自由に国境を越える)
>この一見すばらしい三本柱により、我が国はここ三十年余りの間にズタズタにされてきた。
これは小さな政府だけしか説明していないので本当におおざっぱ基素


>明治学院大教授(社会学)の稲葉振一郎氏は、新自由主義といわれる経済学の諸学派には、ひとくくりにできるような一貫性のある立場は見出せない(注:強調は引用者による)と述べます。
>そのうえで、あたかも実体のある新自由主義というイメージの「でっち上げの主犯」は、批判すべきわかりやすい対象を見出したい、マルクス主義者たちなのではないかと厳しく問います(『「新自由主義」の妖怪』、亜紀書房)。
>新自由主義批判の代表的な論客であるデヴィッド・ハーヴェイ氏は著書『新自由主義』(作品社)で、
>新自由主義は市場への国家の介入を最低限に保つ理論だと述べる一方で、
>現実には「新自由主義的原理がエリート権力の回復・維持という要求と衝突する場合には、それらの原理は放棄されるか、見分けがつかないほどねじ曲げられる」と言います。
>苦しい説明です。都合が悪くなると放棄されたり、ねじ曲げられたりする程度の「原理」は、そもそも原理と呼ぶに値しません。「建前」とでも呼ぶのが適切です。
実際には新自由主義は大きな政府路線も躊躇わない
>経済への介入を控えるというのはあくまで建前にすぎず、本音では増税や企業救済、輸入制限といった大きな政府路線をためらわない。
一貫性がないというのだから、「大きな政府路線も躊躇わない主張の人がいる」という説明が適切では?基素
新自由主義を批判する側は大きな政府を支持しているので、自己批判にならないようにそう捉えない
>新自由主義を批判する知識人は、すんなり従うわけにはいかないでしょう。ハーヴェイ氏を含め、彼らの多くはマルクス主義を信奉する左翼やそれに賛同する人々で、大きな政府を支持するからです。


70年代イギリス・アメリカで発祥
平等より競争や効率
公的規制の緩和
福祉・教育・医療の公的支出の削減と民営化
結果として社会的連帯は後退する
自己責任という価値観が普及

批判的な意見
>@ShinyaMatsuura: ネオリベは全てを自己責任とし、強く賢い者は勝つと考える。競争激化で個人を競争させて、優秀な者だけ残せばより強い経済や政治が得られると考える。が、社会は優秀なら勝つというような単純なものではない。個人も集団も偶然に翻弄されるし、そもそも社会は弱者をも包摂するためにこそ存在する。