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効率的市場仮説
Efficient Market Hypothesis

すべての利用可能な情報が完全に市場価格に反映されているとする仮説
> Eugene F. Famaは、1970年の論文で価格に反映されている情報に応じて、市場の効率性の概念を弱度・準強度・強度の3つに分類している。市場が効率的であるならば、現在利用可能な情報を用いて、将来の株価を予測することはできない。
情報の非対称性によって予測することができるがインサイダー取引として規制されている

実際には成り立っていない
Warren Buffett実際には成り立っていない
株価の情報は瞬時に反映されない
もしそうならアクティブ運用にチャンスはほぼないはずだが、現実ではそうではない
過剰に売られたり買われたりする

株価の分析
ランダムウォークだとする経験的分析
ルイ・バシュリエ (1900) (商品財価格について)
ホルブルック・ワーキング (1934) (各種の価格時系列データについて)
アルフレッド・コウルズ (1933, 1937) (アメリカの株価について)
モーリス・G・ケンダル (Maurice G. Kendall) (1953) (イギリスの株価や商品財価格について)
もっと強力な時系列分析手法を使った分析
クライブ・グレンジャー (Clive Granger) とオスカール・モルゲンシュテルン (1963)
Eugene F. Fama (1965, 1970)
>「ファンダメンタルズ」派の理論がまちがっている証拠だ、と考えた。つまり、やっぱり金融市場というのはホントに荒っぽいカジノで、だからまともな経済学的考察の対象にはならない
>もし価格変動がランダムでなければ(つまり予測可能なら)、利益に貪欲なさや抜き業者は、その予測を利用できるような形で資産の購入や販売するだろう
>つまり、もし市場がきちんと機能していたら、資産についてのあらゆる公開情報(一部のバージョンでは非公開情報も)はすぐにその価格に反映される (ここで「効率的」というのは、単にエージェントたちが手に入る情報を全部使っているというだけの意味だということに注意...)。もし価格がランダムで、つまり予測不可能に見えるなら、それは投資家たちがちゃんと仕事をしているということだ。
批判
>すべての情報がすでに価格に反映されていて、投資家たちが完全に合理的なら、人は自分の手持ち情報を使って利益を挙げることができないどころか、そもそもまったく取引が起きないかもしれない!
批判への反論
>この反論を直感的な形で述べ直すとこうなる(いささか単純化しすぎだけど):効率的市場仮説は、要するに「ただ飯なんてものはない」と言っているわけだ。道ばたに一万円が落ちていたりはしない、なぜかというとそんなものがあったら、だれかがすでに拾ってしまっているだろうからだ。したがって道ばたを見下ろしたりするのは無意味だ(特に見下ろすのにコストがかかるなら)。でも全員がこういう考え方をしたら、本当に道ばたに一万円が落ちていても、だれもそれを拾わないことになる。でも、もしそうなら一万円が道ばたに落ちていることはあり得るわけで、だからみんな下を見た方がいい。でもみんながそう考えたら、みんな道ばたを見下ろして、一万円は拾われるので、振り出しに逆戻りで、道ばたにはやっぱり一万円札はない(だから見下ろしても無駄)となる。この循環論法のおかげで、効率的市場仮説の理論的基盤はちょいと弱いものになっている。
実証研究
Paul Milgrom & Nancy Stokey (1982)