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エジプト文明

ナイル川は毎年6月に氾濫する。水が引けば穀物がよく育つので、この時期をあてたい。この役割が古代エジプトの王ファラオの大仕事
モンスーンでエチオピア側の青ナイル川(下図の赤い領域)に雨が降り注ぎ発生した
星座を使って予測した
オリオン座オシリス神)の三連星とシリウスが一直線になる時が6月だった。
天体観測から太陽暦を発明した
太陽暦はカエサルが採用してユリウス暦となり、ルネサンス期にグレゴリウス暦となり、日本では明治維新で採用された
毎年氾濫した後に土地を分けるので、測地=幾何学が発達した
星を見るときの幾何学はここではまだ発達しなかったの?基素
パピルスが作られた
エロ絵も描いてた
ヘロドトス「エジプトはナイルのたまもの」
>ナイル川は、上流のエチオピア高原の雨期である8月~9月に流れ込んだ雨水を集め、9月中旬から10月上旬にかけて中流から下流が増水し、自然堤防を超え、両岸にあふれ出し、1ヶ月間とどまり、その後ふたたび渇水期に入る。この洪水により、カリウム、リン、有機質に富んだ肥沃な土壌が毎年供給されることになる。エジプトはほとんど降雨がないが、このナイルの洪水によって農作物(主として麦類)を育てることができた。
ん、こっちの説明だと9月になってるな基素
古代エジプトを3つの区分に分ける
第4代王朝のクフ王と息子・孫が建設したと考えられているギザのピラミッド
ピラミッドは何もナイルの西岸にある
首都 テーベ(カイロよりだいぶ南=上流)
テーベの土地アモンと太陽神ラーを合体したアモン=ラーの神殿を建設
エジプトは多神教で、各都市に守護神がいた
ピラミッドはもう建ててない
地中海方面から来たヒクソスに征服される
ヒクソスを撃退した
シリア方面への遠征をするたびにアモン=ラーに祈願し、土地を神殿に渡した。結果、神官の力が強まり、王の専制が脅かされた
18代アメンホテプ4世はアモン=ラーに変わる唯一神アトンの信仰を作ろうとした
最古の一神教
アモン=ラーなど他の神の信仰禁止
テーベからテル=エル=アマルナ(北=下流)に遷都
19代ツタンカーメンで改革は全て白紙撤回
しかしその後、エジプトに脱出したユダヤ人が唯一神ヤハウェへの信仰を唱えはじめた
アマルナにあるアトン神を讃える碑文は、旧約聖書そっくりな部分がある
その後、ヤハウェからユダヤ教・キリスト教・イスラーム教が分離する

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timeline title エジプト文明 section ナイル川の氾濫と農業 BC 5000年頃: ナイル川の氾濫 BC 3000年頃: 太陽暦の発明 : 測地・幾何学の発展 : パピルスの発明 : ヒエログリフの使用 section 古代エジプトの区分 BC 2600年頃: 古王国時代 : ギザのピラミッド BC 2050年頃: 中王国時代 : アモン=ラー神殿 : ヒクソスによる征服 BC 1550年頃: 新王国時代 : ヒクソスを撃退 : シリア遠征 : アモン=ラー信仰の拡大 BC 1350年頃: アトン信仰の創始 BC 1330年頃: アトン信仰の廃止 : アモン=ラー信仰復活 BC 1300年頃: ユダヤ人のエジプト脱出 : 唯一神ヤハウェ信仰 BC 1150年頃: エロティック・パピルス