インターネットの歴史:B.C.60-70 - A.D.1983
1822
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多項式の近似計算ができるマシン
1888
>アメリカ合衆国統計局(当時は国勢調査局)は10年に1度国勢調査を行っていたが、1880年の国勢調査は集計作業が9年もかかっていた
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図:分類されたパンチカードを読んで結果を表示する機械
computer(人間)
1949(NASAの前身NACAの写真)
この時computerは人間だった
>計算手は数人から数百人のチームを構成し、巨大で複雑な計算を分担し同時に平行して行った。
>ENIACの最初の6人のプログラマは、弾道計算のための計算手として雇われていた女性の中から選ばれた。
1946
7月 (議論はあるけど)
世界初の電子式コンピュータENIAC>
>当初は、アメリカ陸軍の弾道研究所での砲撃射表の計算を第一の目的として設計されたが、その初期に行われた計算で射表の計算とは全く違うもののひとつに、マンハッタン計画についてのものがある
>最初にENIACで計算した問題も砲撃射表ではなく水素爆弾に関するものだった
>その計算の入出力には約100万枚のパンチカードを必要とした
>1943年に設計が完了しているため、その後間もなく発展した技術革新を採り入れておらず、特にプログラム内蔵能力を欠いていた
プログラム内蔵能力とは、外部から物理的にプログラムを読まないものということ
>歴史的には、初期のプログラム駆動型の計算機には、主記憶(ROM含む)はデータの置き場としてのみ使い、プログラムは全てパンチカードや鑽孔テープのような補助記憶で与えられ、それを直接読み込みながら実行する、というものがあった。
>当然ながらジャンプが極端に制限されるなどプログラミング的に非常に制限され、プログラムの実行速度が読み込み装置の速度に制限されるため、すぐに古いデザインとみなされるようになった。そのような設計を、プログラム内蔵方式でない、とする分類であった。
>電子式でない、リレーを使ったコンピュータなど、機器自体の動作が紙テープリーダと比してたいして速くなく、素子のコストが記憶装置として使うには高い機械では、テープを直接実行するものが多かった。
1948
>実用的なコンピュータを目指したものではなく、初期のコンピュータ用メモリであるウィリアムス管の評価用に設計されたもの
1951
磁気テープ方式
個人がコンピュータを所有するのは1970年代から
1952
1965
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3月 世界で初めて商業的に成功した(5万システム売れた)12ビットミニコンピュータ
PDP-8PDP-8/E
>1960年代では、コンピュータという言葉はメインフレームのことを指していた。(略)これに対して研究室や設計室のような環境でも運用利用できる小型のコンピュータをミニコンピュータ (ミニコン) と呼んだ。
> 小さめのミニコン本体で家庭用冷蔵庫の半分くらい、大きめミニコン本体では家庭用冷蔵庫よりも大きいものもある。磁気テープ装置、拡張ハードディスク、各種入出力装置などを加えると、より大規模になる。
1969
1970年代
1974
1976
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1978
>池袋の西武百貨店に、たぶん日本ではじめてパソコンの常設コーナーができる
>そのころのコンピュータ売り場には、コンピュータの前に座って、一日中プログラムを書く人がいっぱいいたんです。だって、ふつうの人には、コンピュータなんて買えないですからね。
>その売り場では、同じコンピュータをつかい合う人たちが、自然とユーザーグループみたいな集まりを形成していきました
1979
1980
イーサネット規格公開
1981
>発表後の8カ月間で11,000台を売り上げた。ピーク時の売り上げは1カ月で1万台に達している
1982
>Bill Joyはバークレー・ソフトウェア・ディストリビューション、BSDというUNIXを作ったときにTCP/IPを入れて、世界中にオープンソースで配ったの。
>インターネットは、大学ができたのはBillがバークレーで頑張ったから。
1983