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アサド政権崩壊
アサドはロシアへ亡命
アサド政権の後ろ盾はロシアやイラン
これらの戦力が分散した時期
今後も大して変わらない体制になる?
> シャーム解放機構は、イドリブ県などを占拠している際も「救国政府」なる行政機関を設置し、その「政府」を通じて行政サービスを提供したり、各種の政策を推進したりしてきました。その一方で、治安や警察、宗教についての権限はシャーム解放機構が握り、「救国政府」をフロント団体として、イスラーム過激派としての自派の存在を後景化してきました。
>このやり方ですと、行政・政策上の不手際はフロントとなる「政府」のせいになり、シャーム解放機構の制圧下の住民が同派の責任を問う制度やメカニズムは用意しなくてもいいことになります。
>シリア紛争勃発当初に各地に現れた、地域社会・市民社会が草の根的に行政サービスや司法を担おうとした試みは、間もなくイスラーム過激派に負けて急速に衰退しました。シャーム解放機構が国際社会の支持や承認を得ようと、実質的な権力を握ったままフロント的な「政府」の陰に隠れるということは、実はこれまでのシリア政府の非公式な人間関係を通じてなされる政治的権益配分を政府・議会・裁判所に「決定」、「執行」させるという二重構造とたいして変わりがないということです。
>シャーム解放機構(HTS)は穏健化を目指す姿勢を見せています。その姿勢すら微塵も見せなかったイスラム国などとは一線を画しています。この姿勢が続くかどうかに、新生シリアが上手く行くかどうかが掛かっているのでしょう。もしもアフガニスタンのタリバンのように穏健化すると言って見せ掛けて嘘だったような場合には、シリアにまた戦乱の日々が舞い戻って来る恐れがあります。
アサド政権崩壊
崩壊?