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ベクトル空間の歴史

ベクトル空間は、平面や空間に座標系を導入することを通じて、アフィン空間から生じる。
1636年ごろ、ルネ・デカルトとピエール・ド・フェルマーは、
二変数の方程式の解と平面曲線上の点とを等化して、解析幾何学を発見した。
座標を用いない幾何学的な解に到達するために、
ベルナルド・ボルツァーノは1804年に、点同士および点と直線の間の演算を導入した。
これはベクトルの前身となる概念である。
ボルツァーノの研究はアウグスト・フェルディナント・メビウスが1827年に提唱した重心座標系 (barycentric coordinates) の概念を用いて構築されたものであった。

ベクトルの定義の基礎となったのは、ジュスト・ベラヴィティスの双点 (bipoint) の概念で、
これは一方の端点を始点、他方の端点を終点とする有向線分である。

ベクトルは、ジャン=ロベール・アルガンとウィリアム・ローワン・ハミルトンにより複素数の表現として見直され、
後の四元数双四元数の概念へと繋がっていく。
これらの数はそれぞれ R2, R4, R8 の元であり、
これらに対する線型結合を用いた取扱いは、1867年のエドモン・ラゲール(彼は線型方程式系も定義した)まで遡れる。

1857年にアーサー・ケイリーは、線型写像とよく馴染み記述を簡素化できる、行列記法を導入した。
同じ頃、ヘルマン・グラスマンはメビウスの「重心計算」(the barycentric calculus) を研究していて、
算法を伴う抽象的対象の成す集合を構想していた。
グラスマンの研究には、線型独立性や次元あるいはスカラー積などの概念が含まれている。
実際、グラスマンは1844年に、考案した乗法を以ってベクトル空間の枠組みを推し進め、
今日では「多元環」と呼ばれる概念に到達している。

ジュゼッペ・ペアノはベクトル空間と線型写像の現代的な定義を与えた最初の人で、それは1888年のことである。

ベクトル空間の重要な発展がアンリ・ルベーグによる函数空間の構成によって起こり、
後の1920年ごろにステファン・バナフとダフィット・ヒルベルトによって定式化された。

その当時、代数学と新しい研究分野であった函数解析学とが相互に影響し始め、
p-乗可積分函数の空間 Lp やヒルベルト空間などの重要な概念が生み出されることとなる。


そうして無限次元の場合をも含むベクトル空間の概念は堅く確立されたものとなり、多くの数学分野において用いられ始めた。