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公正世界仮説
>残酷な根本原理

>公正世界仮説(こうせいせかいかせつ、just-world hypothesis)または公正世界誤謬(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものである、と考える認知バイアス、もしくは思い込みである。
この考え方にこだわると、むしろ弊害の方が大きい
やればやるだけ報酬が得られる系のゲームにハマってしまうと、この考え方が染み付く恐れあるだろうか?
ゲーマーズブレインで分析されているように、ゲームに快感を味わえるように、プレイヤーの行いに対して無意味な結果は返さないようにしている
現実世界では、結局「何が大事かは分からない」ような結果ばかり返ってくる
ロバート・オッペンハイマーが後悔したかのように


>寝食を忘れ、家庭を顧みる暇もなく働いたのは、そのような人生を選んだ個人の自由意志であって、そうすることに対して会社が報いるかどうかはまた別の問題なのですが、「世界は公正でなければならない」と考える人にとって、これは許されないことなのです。
>
> 山口 周. 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3107-3110). Kindle 版.
kidooom読んでてかなり響いた箇所
努力至上主義がこじれると、「努力したんだから結果をよこせ」主義になる
1万時間の法則は、解釈の問題だった。1万時間やれば成功するというわけではない。
逆恨みの根底にあるのが公正世界仮説の考え方

世界は公正ではないからこそ、80%の価値を見出す20%のことを集中する

自分が頑張ったから成果が得られたと思う = 運を能力だと勘違いしている