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2023年4月2日
ここのところ就寝前に『半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』を読んでいるところ。今のところは集積回路の初期の頃の復讐という感じ。それでも十分面白いのだが、これからに期待。3時過ぎに、リトルKに授乳してから寝る。

明け方に起こされて、Kに引き渡してまた寝た。9時過ぎに起きたが、全然眠気が取れなくて、だるい感じ。Kがもう出かけるというので、起きる。というわけで、今日はしばらくリトルKとふたりで留守番。寝つかせて、その間に論文の続きをやろうと思っていたのだが、全然寝ないし、ずっとぐずっている。しかたがないのでボバラップで包んで落ち着かせ、作業。

もう人生の半分ぐらい生きたことになるのかと思ったりすることがあるが、しかし昨今の情勢を見ていると、もう半分はこれまでとは比較にならない密度になりそうだから、あと半分でももっとだいぶ楽しめそうな気もする。

AIが爆発的に発達してるからこそ、芸術・芸能によって教養を身につけることはますます重要なんじゃないかと思う。情報はAIがいくらでも要約できるが、教養的体験とは人生そのものであり、情報のように要約することはできない。情報的な「貧しさ」に翻弄されないしなやかな教養を。そんなことを思ったりして、これでは浅田彰さんや東浩紀さんがある種の保守的な言説へ展開したのと同じだよなあと思う。ダサいけど、しかたない気もする。

生得か環境か、というフレームがある。人間の能力のうち、進化の過程において獲得したpre-trainedな部分を生得的なこととして重視するか、生まれた後にfine tuningしたりreinforcement learningしたりして獲得する環境的なことを重視するか、わりと多くのことがそんな話なんじゃないかと思える。答えは、場合によるし、どっちもだいじ。

論文作業にも疲れてきたので、リトルKをお腹に乗っけて、眞木啓子『ようびの器 ものみな美しき日々のために』を読む。そうしているうちに、Kが帰ってきた。

散歩に出かける。お茶しながら本の続きを読んで、読了。「眼福」という言葉がふさわしい。すっかり心が洗われた気がする。こういうのを忘れずに生きていきたい。その後、帰宅して夕食を作る。本を読んだこともあり、ちょっとちゃんとやるかなという気持ちになる。Kが高島屋でお弁当を買ってくれたので、汁物だけ作る。昨日、冬瓜を買っておいたので、スープを作った。旨い。

リトルKの世話などをした後、論文作業の続き。だんだん疲れて雑になっていく感じ。しかし、とりあえず最後まで終わらせた。ページが半分ほど余ってしまったので、実装の詳細について書き足す。それでも2/5余っている。微妙な余白。投稿する予定のカンファレンスの過去の予稿をいくつか見たら、それぐらい余らせてるものもあったので、まあいいかという気もする。

日付が変わる頃に、坂本龍一さんの訃報。

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