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2023年3月15日
昨晩は、日記を書いた後にGoogleからAI関連の発表があり、非常に期待できる内容で興奮した。一方で、すぐに使えるわけではないので、はやく使えるといいなーと思った後に寝ついた。起きると、OpenAIがGPT-4をリリースしていた。こちらは、Web UIではすでに使える状態(課金が必要なのですぐにした)。APIはwaiting listに登録。さっそくGPT-4の話題でもちきりで、Twitterも社内もその話ばかり。この差はおおいに示唆的である。

情報処理学会の論文誌に「Pratipad:IoTシステムを単一のプログラミング言語で統合的に構築できるデータフロー基盤の提案」が出た。まずは第一歩。次のものもやらないと。空き時間に論文を少しでもやろうと思ったのだが、マインドシェアがAIの方に取られてしまって、全然進められず。社内向けにちょっとした文章を書いたり、あれこれミーティングや1on1をしたり。

2023年3月6日に、AIが発達して生産性が上がることはあっても、自分の知性や教養が高まるわけではないという話を書いたが、GPT-4が出てもそれは同じである(というか、AIがいくら発展しても同じである)。また、AI脅威論のような話は、生産性のレベルだとそういうことは大いにあろうけれども、何が代替され何がされないのかについて、本当にちゃんと考えられているんだろうか?と思ったりもする。

代替されることを恐れること、他人は代替されるかもしれないが自分は代替されないと高を括ること、サンクコストによるバイアスに目を曇らされて何も見えないこと、積極的に代替されたいと願うこと、AIには代替不可能なことを探すこと、すでにそれを手にしていると安堵すること等々は、全て同じことである。自らが自らであることの不思議と価値という根源に向き合わなければ、代替されようがされなかろうが、同じ。いまは代替されなくても、将来に同じ不安を抱えるのだから。

しかし、代替可能なことがほとんどであるからこそ、そういうのとは原理的に無縁なことも遡行的にわかるという意味では、メタ的に無縁ではないのかもしれず、そうしたことに改めて気づかせてもらったということではあろうとも思われた。それはそれでありがたいことである。AIさん、ありがとう!落合陽一氏的にいえば「その喜びを共有しよう!感動できる!ありがとう!」という感じである。

今日もうっすらと首こりからの頭痛が続いていた。帰宅して、しばらく仮眠。起き出して、論文をやろうと思っていたのに、またAI関連で遊んでしまう。なんとかしないと。

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