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アブダクション
[*** \mathrm{abduction}] | abˈdəkSH(ə)n |

世の中には、推論方法が三つあって演繹帰納アブダクションらしい。
演繹、帰納は高校くらいまでに習ったりするけど、アブダクションは学習漫画「記号とアブダクション」で初めて聞いた。けどこれはトップダウンアプローチ、トップダウンでもの作るときの話に似ていると思った。

トップダウンアプローチは、学部生のとき渡邊恵太先生から聞いた方法で、体験のコアとなる部分をまず作って、そのあと土台(より良い実装)を固めていくという方法。まぁ俗に言うプロトタイピングということになると思うが。

アブダクションというのは、まず理想的な状態を想像する。そのあとにそれを裏付けるような証拠を見つけていくような推論方法だ(と思う)。で、演繹や帰納ではたどり着けないような独創的な結論に達することができる。
ただこれは結構な落とし穴があって、つまり裏付けることができる証拠だけを集める、もしくはそれらだけを使って正当化してしまうような感じがある。

最近アニメ氷菓を見ていた。このアニメは推理小説が元で、主人公の折木奉太郎がどんどん謎を解いていくんだけど、彼の推理は完全にアブダクションであった。
ここからは若干ネタバレになるのだけれど、10-11話は、脚本家が倒れてしまい途中で製作が終わってしまった有志のミステリー映画を、その脚本家の意図を汲み取りながら折木が完結させるストーリーをつくると言う話だった。
それで彼は、犯人はカメラマンであったという独創的なストーリを作り上げるのだけれども、実は脚本家の意図であるザイルの使用を完全に無視していた。彼は、カメラマンが犯人という結論から、それを裏付けられるような証拠だけをピックアップして、その結論にそぐわないザイルの使用を無視してしまい、仲間から責めらる。悲しい。まぁそんな話。

HCIはこういうアブダクション的な、トップダウンなプロトタイプをするのが多いわけだけれども、この折木のように実は重要なところを見落としている(あるいは故意に無視している)可能性があるかもしれない。
例えば、今はプロトタイピング止まりだが近い将来ボトルネックであるこの技術は今後飛躍的にすごくなるので問題ない。的なことを思いがち。
このとき本当にすごくなるのか?すごくなるにしてもそれは100年とかなのでは?なら今やる必要ないのでは?というのは自問した方がいい気がした。あまりに見落としているもの、無視しているものが論文のClaimに対してクリティカルなのであれば、今はやるべきではないと割り切る必要もあるのだろう。