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Netflix が設定する映像作品のサムネイル
>ネトフリの良くない所は、キービジュアルを勝手に「スチール」に変えてしまうこと。「シンプル・フェイバー」だとアマプラとの比較がこれ。キービジュアルへのリスペクトがないし、そもそもスチール1枚じゃ作品内容が伝わらない。とても残念だし、是非改善して欲しい。


このツイートは「プラットフォームコンテンツに対してリスペクトを持つべき」と論じていると解釈した。

「改善」という言葉が出てくるが、ここでの「善」とはなにか。パッと思いつくものとして「視聴回数」というパラメータがあり、そのキービジュアルってやつをツイート主の望む通りに変えて視聴回数が減ったら、それは改善なのか改悪なのか。

これはぼくの勝手な憶測だけど、Netflix は意思決定にデータを大活用していて、あれこれ試したりしながらなにかしらの軸で最適化しようとしていると思うんだよな〜。少なくとも「適当にやっちゃいました、テヘペロ」というものではないと想像している。

1.5〜2倍速再生は当たり前に? ネットフリックスが醸す物議と時代の必然性では「再生速度」を扱ったけれど、今回は「サムネイル」や「アイキャッチ」と呼ばれる画像がテーマ。構造は同じで「コンテンツのオリジナル形式をどこまで尊重するか」っていうお話だと認識している。

コンテンツがあり、それを配信するプラットフォームがあり、それを受信する消費者がいる。冒頭のツイートはどの立場での発言なのだろう。字面の上では「改善してほしい」とは言っているけれど、ぼくには「わたしの望む形になってほしい」と読めた。

「最も多くの消費者に届く方法を選び、コンテンツ製作者の収益を最大化する」というリスペクトの形もあり得ると思う。

マルチデバイスが当たり前で、ライフスタイルも多様化した時代に、「等倍速で観ろ」「映画館のスクリーンで観ろ」「どんなデバイスで観ているかは知らん、この画像を表示しろ」というスタンスでいるのは、なにに対してどんなリスペクトを持っていることになるのだろうか。