思い出し 2021
毎年
taizooo さんがやりくりしてくれているこのシリーズ。今年もそんな季節です。実は、今年は少し出遅れていて、
2021-12-01 に
taizooo さんの初日の記事を読んだあと、それ以降はあまり目を通せずにいたんですよね〜。そんなに忙しい日々を送っているわけでもないのに、気持ちが追いつかなくて「あとで読む、あとで読むぞ…」となっていました。自分の担当日である
2021-12-18 になってようやく上から順番に読んでいきました。
以下、文体が変わります。
年始
生活方針 2021 というページをつくって張り切っている様子が伺える。他人事っぽく「伺える」と書いてしまったのは、当時の気持ちをぜんぜん覚えていないから。たぶんこのときは 2020 年に過ごした時間をベースに 2021 年のことを考えていて、だけれど実際は前提が大きく変わってしまって、年始に想像していた方向にぼくは進まなかった。
東京都葛飾区から栃木県那須塩原市へ
自分が自動車を購入することになるとは思っていなかったなあ。栃木県民になるとも思っていなかったし。人生はおもしろい。
バースデイ
メンタル不調
ひとやすみ 2021-09 に書いた話。今年の 9 月に心の調子が優れない状況になり、お仕事をババーンと休んでしばらくゆっくりと過ごしていた。ぼくの人生においてここまで活動不能な状態になったのは今回が初で、おおいに戸惑った。人生、ここまでとにかく元気なままきてしまったせいで「元気じゃない状態の自分」というものを受け入れるまでが大変だった。会社に「おやすみします」と連絡するときにも勇気が必要で、なんとかがんばって連絡したときにすぐにやさしい反応が返ってきたら安心して泣いてしまった。
もっと若いうちにこういう経験をしておければよかったのかもしれないけれど、38 歳になってようやくの経験となったので、38 歳になっても未経験の領域では精神が未熟なままなのだなあ、とわかったのは収穫だった。
メンタル不調のお話を
に聞いてもらった様子は動画にもなっている。
この動画はぼくが想定していたよりも多くの人に見ていただけたようで、感想のコメントを寄せてくれた人たちもいた。また、動画の公開から数ヶ月が経ってから「あの動画を見ていたおかげで、お仕事をおやすみする判断ができました」と伝えられたこともあった。わーお。
メンタル不調の話題はおおっぴらに語られる機会がまだまだ少ないかもな、というのはぼくも感じていて、ぼくはたまたま自身の体験を公開することに抵抗を感じなかったのでこうして表明している。それが、結果的に誰かひとりにでもよい影響を与えることができたのならうれしいことだ。
みんなも、ちょっとしんどいな〜と感じるようなことがあれば早めにおやすみしようね。大変なことになっちゃう前にね。ぼくはそうするよ。
ぼくの小規模な働き方改革
ひとやすみ 2021-09 のあと、自分の働き方を見直すことにした。
2008-04-01 からフルタイムの会社員を始めて、それから 13 年半ほどの期間を経て体得してきた「自分なりの働き方」「自分なりの成果の出し方」というものがあった。これまでの自分の活動を支えてきたそれなりに大事なものではあるが、こんな機会でもなければ向き合い方はなかなか変えられないだろうと思い、いったん手放してみることにした。
こういうとき、まったく信用ならない「自分の気持ち」みたいなものを変えるのは筋が悪かろうと考え、まずはもっと具体的な「通知」というシステムを再設計することにした。お仕事についても私生活についても、各種のシステムから送られてくる通知メールやプッシュ通知の設定をばんばんオフにしたり、どうしても送られてくるメールは
Gmail のフィルタでどんどんアーカイブしたり、スマートフォンからアプリをいくつもアンインストールしたり。
それから「やらないこと」を決めて、増やしていった。自分はこれまで「広く見渡して、他の人が気付いていなさそうなチャンスを見つけて、そこにつっこむ」みたいなスタイルでやってきたのだけれど、これは
メンタル不調を経て精神の帯域が狭くなっている自分とは相性が悪かった。なので、一度に考えることをどんどん減らしていきたかった。これまでなら次々に首をつっこんでいったであろうことも、視界から遠ざけて見ないようにした。通知の件もその一環と言える。
方針転換の副作用で「他人に頼る」「他人に任せる」が加速していったのはおもしろかった。いやあ、もっと早くから他人にどんどん任せていった方がよかったなぁと今では思う。自分のような立場の人間がなんでもかんでも欲張って自分でやろうとしちゃうのはよくない。
これまで溜め込みがちだった
有給休暇もカジュアルに使っていくことにした。今年の後半は「働くのは 4 日間まで」とした週が多かった。お仕事、今でも楽しいと感じるし好きだけどね。
有給休暇は溜め込むものではなく使っていくもの、という姿勢を周囲にも見せていった方がいいと思って実践している。
東京出張
去年に続き、今年も
在宅勤務がメインとなった。とはいえぼくはオフィスで同僚とわいわいするのは嫌いじゃないので、
COVID-19 の感染状況が落ち着いているタイミングでちょっくらオフィスに行ってくるか、と思って 12 月に
出張の予定を組んだ。せっかくなので妻も同じ日程で東京に行くことにして、お互いの予定をこなす。
すっかり
那須塩原での生活に慣れてしまった自分の体で東京都内を歩くとどんなことになるのか興味があった。
那須塩原駅を出発して
東京駅に向かう
新幹線の車窓から眺める景色はおもしろかった。南に進むにつれて、都会を映す景色が増えていく。まるで、文明が発展していく映像を早回しで見ているようだった。建物の背はどんどん高くなり、コンクリートの密度は増していき、空の青と草木の緑はだんだんと見えなくなっていく。
東京駅に着いてしまえば、体はすんなりとそれを受け入れていた。手元のスマートフォンからは乗り換え案内系のアプリはすべてアンインストール済みだと気付いたものの、
東京駅から
渋谷駅への経路くらいであれば妥当な経路を自力で挙げることができる。そりゃそうか。たった 8 ヶ月前にはぼくはこの大都会に住んでいたのだった。再会は思っていたよりもあっけなくて、仮に「明日から東京で生活してください」となったら、別に問題なく適応できそうだな〜と思えた。妻も同じことを言っていた。
その気になればいつでも、東京でも那須塩原でもやっていけそうだな、という感覚を持てたのはうれしかった。今後も楽しく暮らしていけそうだ。
東京にずっと住んでいては気付けないことがある。那須塩原に引っ越してみて気付いたことがある。那須塩原で一定の期間を過ごしてみてからあらためて東京を訪れてみて気付いたことがある。さながらタイムリープものの物語の主人公のように、東京と那須塩原をいったりきたりしながら、38 年間ほど生きてきてもまだまだよくわからない己という存在をいろんな角度から眺めて解き明かしていくのだ。
雪
東京出張を経て「東京はこうで、那須塩原はこうだな」「それぞれのよさを取り入れて暮らしていくには…?」となんとなく考えていたところに雪が舞い降りて、ぼくは 24 歳までを過ごした
北海道のことも思い出す羽目になった。気持ちが忙しい。
雪玉を握るときの手の冷たさに、幼少期の冬を思い出す。車の上に積もった雪を見ると、冬の日に父親が運転していた車を思い出す。雪国育ちのぼくの頭の中には、
雪というタグ付きの記憶のレコードがたくさん格納されているようだった。
写真は、自宅よりは少し山寄りの場所で撮ったものだけれど、自宅の周辺もこれくらいの雪が降って積もったのだ。
転がすことで見えてくる
自分という存在が立方体のような形をしていたとして。机の上にずっと置いてあるだけでは、見えてこないものがありそうだ。この 2021 年、自分の日々はころころと転がるような過程にあり、転がすことでさまざまな面が見えたようにも思う。それくらいにぼくは自分のことをわかっていないし、あるときに見たものも、さまざまな経験を通り過ぎたあとじゃなければその意味を受け取ることができなかったりする。たくさんを見て、なんとなく覚えておいて、あとから思い出す機会が巡ってくるのを待つ。
2020 年は、社会がひっくり返りそうになる中で、足を踏ん張ってその場に留まろうとがんばっていたかもしれない。それに疲れてきてしまって、今度は自分から転がることを選んだのが 2021 年だっただろうか。これはちょっと、後付けが過ぎるかなあ。なんにせよ、
引っ越しや
メンタル不調を経てぼくの生活は大きく変わったし、変えたし、新たな自分をたくさん発見したおもしろい 1 年だった。妻と話している中では「今まででいちばんおもしろい 1 年間だった」と位置づけている。
Web 3.0
ぼくは 2006 年頃に『
Web 2.0』の潮流に魅了されてその世界に飛び込んで、今日までやってきたと自己を認識している。飛び込んだ先で出会えた人のひとりが
taizooo さんで、顔も知らないけれど長い付き合いになっている。あの時代のぼくにとって
Web 2.0 は新大陸という感じで、なにもかもが輝いて見えていた。それまで自分が生きてきた世界とは別の世界だと思って触れ合っていた。気付けばあれから 15 年も経っていて信じられない。新大陸だと思って住み始めた場所が、今では自分のホームのような場所になっている。
2018 年くらいから『
Web 3.0』のことを調べ始めてウォッチしていて、2021 年はうねりが少し大きくなったのを感じた。来年あたりには、2007 年に
Twitter と
Tumblr と
Ustream がぼくの精神生活を大きく変えてくれたように、また大きな波がきてぼくをどこか遠くに連れ去ってくれるんじゃないかと期待している。
足跡は続いていく