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固定化された格差の上にあぐらをかく
自分がそういう状態になっていたら怖いな、どうしたらいいんだろう、というお話。

20 代のころのぼくは今よりももっと調子に乗っていたと思う。37 歳の今も大なり小なり調子に乗っているとは思うけれど、20 代のそれはもっと過激なものであっただろう。今となってはそう思う。

他人に対して自己責任という言葉を振り回したりはしなかったけれど、自分に対して「いま、自分が持っているものは、自分の努力の結果として得られたものだ」と信じていたところがあったように思う。

30 歳を過ぎたころから、結婚して妻といっしょに暮らすようになったこともあり、いろんな人からいろんな影響を受けて、世界の見え方は少しずつ変わっていった。だんだんと「いま、自分が持っているものは、幸運によるものだ」との認識が強くなっていった。

もう何度も読み返している 2019年度 東京大学学部入学式 祝辞 by 上野千鶴子 から、今回も引用しよう。

>あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

幸いなことに 2020 年の社会においてはソフトウェア開発のスキルは重宝されていて、15 歳で国立釧路工業高等専門学校情報工学科に入学したぼくは、ラッキーな道を歩いてここまでやってきた。中学生当時の自分がどこまで自分の将来に対して自覚的であったかを考えると、本当にたまたまの選択が重なって今日につながっているとしか思えない。

2019 年のジェンダー・ギャップ指数ランキングで 121 位という位置付けの日本という国に男性として生まれたこと。両親ともに健康で、不自由ない暮らしをさせてもらったこと。自由を尊重してもらえたこと。妹弟弟に恵まれて、家庭の中にも遊び相手がいて社会性を育める環境があったこと。健康診断と予防接種とお見舞い以外で病院に行く機会がないくらいに健康な 20 代を過ごせたこと。社会における重要性が高まり続ける業界に身を置けていること。そのどれもが偶然の中に存在していて、どれかが違えば、ぼくの年収が今の半分になっていてもおかしくはない。そんな儚さの上にぼくは立っている。

「自分と、自分の身近な数人が幸せならそれでいい」という人生観は今も大きくは変わらない。正直にいって、ぼくはいま幸せだ。特に困っていることはない。衣食住の心配がない。心が休まる家庭があり、孤独を感じることはない。お仕事はとても楽しい。接する人々はみんな親切にしてくれる。ぼくの生活を破壊しようとしてくる存在はいない。怪我や病気でしばらく働けません、となっても即ゲームオーバーにはならないくらいの備えはある。交通事故で「首から下が動かなくなりました」ってなったら今とは別の暮らしに移行しなきゃだけど、これは「葛飾区に隕石が落ちたら」みたいな話なのであまり考えすぎても仕方がない。

さて。そうなったときに、心は次になにを望むのだろうか?

最近になってようやく、自分と自分の身近な数人、その外側に意識が向くようになってきた。それだけ精神に余裕がある状態なのだと思う。

2020-07-05東京都知事選挙の投票が行われ、開票されて結果が出た。ぼくが抱いた印象は「これまでの 4 年間とさほど変わらない次の 4 年間になりそう」だった。そして胸が少しざわざわした。「変わらない」という想像にちょっとした抵抗感を覚えた。なぜだろう。

20 代までのぼくが政治や自治体に興味を持てていなかったのは、自分が困っていなかったからだと思う。毎日が楽しかった。命の危険を感じる瞬間なんてなかった。そして、困っている人の存在を気にしないようにしていた。自分の生活にはなんにも影響がないし、リーダーが誰になろうと構わないと思っていた。

Miss Americana13THマイストーリー を観たり、Sai no Kawara の MV の画と音に心を揺さぶられたりして、自分が幸せだからそれでいいって、この態度をぼくはいつまで続けられるんだろうと疑問視する気持ちが強くなっていった。あまり教養らしい教養を身に着けてこなかったぼくだけれど、今の世の中、手を伸ばせば手に入る教材は一生かけても消化しきれないほどにあふれていて、40 歳が近づいてきてようやくではあるけども、教養のない自分を恐ろしく感じるようにもなってきて、まだまだまだまだ勉強していきたいと感じている。勉強していこう。

ひとたび「困っている人」「不当な扱いを受けている人」の存在が気になり始めると、自分が今後の人生でやっていきたいことに新たな項目が追加されていくのを感じた。このまま与えられたラッキーにしがみついて生きていくのはけっこうダサい生き方のように思える。ほんの少しでも、自分がせいいっぱい想像するかっこいい生き方に近づけていきたい。

都民1万人アンケート | NHK選挙WEB を見てみる。おもしろいと思った円グラフをいくつか引用する。

Q.いまの生活水準満足度

Q.4年間の都政で暮らしは良くなったか

Q.東京に住み続けたいか

Q.東京一極集中への考え方

現状にそれなりに満足している半分以上の人々が、この 4 年間では特になにも変わっていないと感じていて、東京一極集中は是正した方がいいと考えているけれど自分は住み続ける、みたいな内容。なかなかおもしろいと思った。

いま困っていない人が半分以上いるとして「困っていないし、そのままでいい」と考えているのなら、今回の東京都知事選挙の結果にはおおいに納得する。そしてたぶん、いま困っている人たちは変わらずこれからも困り続けるのではないか、と思った。困っていない側の人間として、どうにも居心地の悪さを感じてしまっている、投票翌日の 2020-07-06 だ。

現状維持をなにより望む大都会、東京。
都会というと「眠らない街」とか言って動き続けるイメージがあるけれど、見方によっては止まって見えるんだな。

ぼくは、ラッキーの果てにたどりついた固定化された格差の上にあぐらをかいてはいないだろうか?「あなたがもし解決策の一部でないなら、あなたは問題の一部である」の考えを支持するならば、ぼくはいま、東京都の貧困問題の一部になっているだろう。あまりうれしくない自己認識だな、と思う。トランプで遊ぶ大富豪 (地域によっては大貧民って呼ぶんだっけ) を「革命ナシ」のルールで逆転もほとんど起きない中で遊び続けているような、そんな気分で過ごしている。

はー、これからどういう方針で生きていこうかな。今日のところは結論がない。でもやっぱり、東京都の外に出るのがいい気はするな。