generated at
人は地面に降りていかなきゃ by yoppymodel
朝日新聞ポッドキャストMEDIA TALK より。ゲストの yoppymodel さんのお話から。


公式な書き起こしはないので、ぼくが聴いての記憶にもとづいてメモしていく。興味のある人は一次情報に当たってくださいな。

一次産業二次産業三次産業 と n が増えるほど地球から離れていく、という捉え方
最近の高度なテクノロジは次元の高い方から順に人間の仕事を奪っていく
Generative AI によってライターの仕事は減っていくという予想
だから、人間はこれから n の低い方へ、地球に近付く方へ降りていくことになるのではないか

ざっくりこんな話がされていたと理解している。細かいところまで感覚が一致しているとは思わないけれど、最近の自分の気分と重なる部分もあったので「そうだねえ」と思いながら聴いた。

まず、2021 年の引っ越し以降、農業を身近に感じるようになった。黒磯の家松本の家も、家の周辺に田畑が広がっているからね。農家さんじゃなくても、自分ちの庭の土をいじっている人もたくさんいるし、畑で採れた作物をわけてもらったりしている。一次産業に対するリスペクトが強くなったし、これがなくなったら食べるものに困るようになるんだよな〜と自分の感覚でわかるようになった。

それと並行して、ソフトウェアがどんどん高度化してきて自分の身体からどんどん離れていく感覚も強くなっていた。ソフトウェア業界において「ソフトウェア開発のためのソフトウェア」のような階層があり、今ではそれは高く積み上がって塔のようになっていて、塔の 14 階では 13 階で使うためのソフトウェアを開発している、みたいな。こちらはこちらで、地上から遠く離れてしまったような感覚がある。身体性を感じにくくなっている、と言えそうか?あくまで、ぼく個人の感覚の話として。

以前にソフトウェアがソフトウェアを飲み込んでいくにも関連する話を書いた。

デスクワーカー」と「ノンデスクワーカー」という整理の軸もある。これまでのソフトウェア開発はデスクワーカーを対象としたものが多かったが、そこをさらに突き詰めるより、ノンデスクワーカーの困りごとを解決していきましょう、という方向性も勢いを増しているように感じる。

>

自分がこれまで関わってきたお仕事も「デスクに向かって、デスクワーカー向けのソフトウェアを開発する」というものがほとんどだった。ちょっと気分を変えたい時期ではあるんだろうなあ。単純に「より効率的に稼ぐ」だけを考えるなら、在宅勤務が許可されていて事業が伸びている企業の仕事を選ぶのがベストだろうけれど、ずっとそれでいいんだっけ?と反発したい気持ちがあるから小学校でのボランディア活動に首を突っ込んだりしていると思う。そういう自己認識がある。

ソフトウェア開発だとしても、資本主義的な考え方が支配的ではない現場だと雰囲気が違うかもな〜。短期的に目に見える資本の増加だけを狙っていくと、ダーク・パターンに陥る穴はいたるところに開いている。ひとりの生活者としては「解約しにくくしてあるサービス、最悪」と思うけれど、自分はお仕事においてダーク・パターンと完全に無縁でいられるかというと自信はない。前提としているパラダイムの影響力の大きさの前に、個人の精神的な抵抗が無力になることもあるだろう。

「業界の規模」ってのもあるのかな〜。業界あるいは組織が大きくなっていくと、必然的に分業が進む。分業がどんどん進むと、ぼくはどこかで身体性の薄まりを感じるようになるってのはありそう。ソフトウェアの業界も 2010 年代にずいぶんと大きくなって、自分の居場所を見失いつつあるのかもしれない。会社員として働き始めた 2008 年には「自分はウェブ業界でやっていくんだ!」というストレートな気持ちがあったが、今の気分は当時と同じではない。思い返してみて、少しまぶしく感じるくらいだ。

「地面に降りていく」というアイディアには、なにか魅力を感じている。あるいは「次の大地を探している」って気分なのかもなあ。じゃあ具体的に自分にはどういうアクションの選択肢があるだろうか?ここにきて、大学大学院のときに考えていたような「オレの考えた理想の生計の立て方」みたいな発想が元気になってきていておもしろい。

「地に足をつけて価値を感じられることをやっていきたい」と「生活していて不安を感じないくらいには稼ぎたい」の両立、40 代の自分の大きなテーマになるかもしれないな。うまいバランスが見つかったら、ここからまた元気に楽しくやっていけると思う。ここまで書いてみて、我ながら欲張りさんだなあ、と感じた。