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ソフトウェアがソフトウェアを飲み込んでいく
直近 20 年間くらいソフトウェアに関わるような日々を送ってきて、自分が身を置いている領域のことは「新しい業界」だと認識してきた。たとえば「農業」や「造船業」などなど他の業界と比べれば歴史が浅く、新しい業界と言って間違いはないだろう。

加えて、なんとなく暗黙的に「テクノロジによって仕事が奪われるのは、古い業界から順に」と思い込んでいたところがあるような気がしている。下の図の「自動化の流れ①」のような矢印を想像していなかったか?


ソフトウェアが世界を飲み込んでいく

>Software is eating the world.

ソフトウェアの仕事を選んだ自分のような人間にとって、なかなか甘美な響きだと思う。これが 2011 年か。

実際に xTech やら Digital Transformation やらの話は活発で、さまざまな産業がソフトウェアに接続された。世界の企業の時価総額ランキングの上位を見ればビッグ・テックが席巻していて、たしかにソフトウェア企業が世界を飲み込んでいるようにも思えてくる。

ソフトウェアがソフトウェアを飲み込んでいく

ChatGPTGitHub Copilot にソフトウェアのコーディングをやってもらうとだいぶ驚く。完璧とはいかないまでも、けっこう書いてくれる。おのれの肉体のみを駆使する徒手空拳プログラマを「徒歩」とすると、いわゆる Generative AI の支援を受けるプログラマは「電動アシスト自転車」くらいの加速を得るのではないか。少なくとも 2023 年 4 月の時点で、すでにそれくらいのことは思う。

新しい領域だし、自分たちは飲み込む側で、飲み込まれる側になるとしてもしばらく経ってから。そんなふうに思ってはいなかったか?

ソフトウェアエンジニアは構造化をがんばってきた。適切に属人性を取り除いてきた。業務プロセスを標準化し、明文化し、テキストで記述可能にすることで自動化を進めてきた。画面ポチポチよりも、バージョン管理できるプレインテキストでの記述を好んだ。

これらは、ソフトウェアが食べる学習データとして重宝する。ソフトウェアエンジニアの仕事の成果は、ソフトウェアが好んで摂取する食料になった。

Software is eating software.

先の図の「自動化の流れ②」のように、最近まで人間ががんばっていた領域から順に飲み込まれていくのを感じる。考えてみたらそれはそうという感じもするが、自分はながらく「自動化の流れ①」を想定していた気がする。

ソフトウェアは世界を飲み込んでいる?

先日、農業機械が田んぼを走っているのを眺めていた。人間が運転する乗り物が、田植え前の田んぼに前処理を施しているのだと思う。こうしてみると、田んぼってのは消化に悪そうだ。田畑の様子を見て回るに、実感としてはあまりソフトウェアに飲み込まれている感じはしない。ハードウェアを飲み込んで消化するのはなかなか大変だった。


それよりもやっぱり、プレインテキストの方が消化にもよくて飲み込みやすいのかもね。ソフトウェアがソフトウェアを飲み込んでいく。ネオエクスデスみたいな世界観。

>わたしは ネオエクスデス
>すべての記憶 すべてのそんざい すべての次元を消し
>そして わたしも消えよう 永遠に!!