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くんしのあやまちはじつげつのしょくのごとし
金句集
Cunxino ayamachiua jitguetno xocuno gotoxi: ayamaru toqimba, mina fito coreuo miru:arata- murutoqimba, mina fito coreuo auogu. Cocoro. Camitaru fitoua ayamareba, jitguetno xo cuno gotoquni miye:mata aratamureba, fitomina auogui tattomucoto xocuno fareta gotoqu giazo. (くんしの あやまちは じつげつの しょくの ごとし: あやまる ときんば, みな ひと これを みる:あらた- むるときんば, みな ひと これを あおぐ.) (こころ. かみたる ひとは あやまれば, じつげつの しょ くの ごとくに みえ:また あらたむれば, ひとみな あおぎ たっとむこと しょくの はれた ごとく じゃぞ)

xocu
食、蝕。
>一天体が他の天体のうしろ、または影の中にはいる現象。
>*日葡辞書〔1603~04〕「Xocu (ショク)。例、ニッショク グヮッショク」〈日国〉

『論語』巻第十、子張に「君子の過ちや、日月の蝕するが如し」という一節がある
>子貢が日わく、君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆なこれを見る、更むるや人皆なこれを仰ぐ〈『論語』(岩波文庫 青202-1)p.389〉
君子の過ち日食月食のようなものである
過ちをすればみんなこれを見る
「食」の謂いだろうか?
改めると誰もが皆これを仰ぐ