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くちはこれわざわいのかど
くちはこれわざわいのかど
金句集
Cuchiua core vazauaino cado. Cocoro. Vazauaiua tabun cuchicara vocoru. (くちは これ わざわいの かど.) (こころ. わざわいは たぶん くちから おこる.)
表記ゆれというか、バリエーションというかがある。
口は/舌は・わざわいの・元/根/門
舌→禍の根、口→禍の門という例が多い
>*十訓抄〔1252〕四・行基菩薩遺言誡多言事「口は是禍の門也、舌は是禍の根也」
>*童子教〔13C後~14C初か〕「口是禍之門、舌是禍之根」
>*幸若・しつか〔室町末~近世初〕「みみはとせいのみみ目はじゃうはりのかがみしたはわざわいのねくちはわざわいの門」〈日本国語大辞典、「くちは禍の門」〉
口は開閉があるから門となるのは分かるし、舌も「舌根」という言い方もあるからこれはわかるcFQ2f7LRuLYP
例外もある
>*天草本伊曾保物語〔1593〕イソポの生涯の事「xitaua core vazauaino cado (シタワ コレ ワザワイノ カド) ナリト マウス コトワザガ ゴザレバ」〈日本国語大辞典、「したは禍の根」〉

cado
門(かど)のこと。出入口。
tabun
多分。
>その可能性が強いことを判断していう。おおかた。多くは。十中八九。大抵。
>*天草本伊曾保物語〔1593〕片目な鹿の事「Tabun (タブン) ヒトワ カシコダテヲ シテ、シソコナウ モノヂャ」
かしこだては、「思慮分別があるようにふるまう」こと。
大抵、人というのは人に賢そうに見せかけ、そして失敗するものだ。
> *羅葡日辞書〔1595〕「plærique 〈略〉タイリャク、ヲウカタ、tabun (タブン)」

禍は、大抵口から起こるもの。