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終わっていく世界で生きること

> なんとなくどこも残り香的な感じで、終わっていっているようなことは感じていた(yuta25) 2007年のインターネット

世界を考えると、ほとんど全てのことは終わっていくもので、新たに始まるものと出会えるチャンスは多くない
世界というものは、すでに始まっていて、ゆっくりと終わりつつあるもの、である

二つのことを考える
どうやって始まりに立ち会うか
どうやって終わっていく世界で生きるか

自分は考古学的気質(または墓掘り)なのでいつでも、終わっていく世界、終わってしまった世界のことを考えている
世界は屍だらけ
> 「歴史」の別名は死屍累々。 https://taizooo.tumblr.com/post/125244335075
先見日記、無くなってた
> 鉱物探しを趣味としている大学時代の友達になんでそんなものを趣味にするのか聞いたら、ここには何億年もの死が堆積しているからだと言われて、かっこいいなと思いました。 https://twitter.com/rhenin/status/292291286436818944
かっこいいいyuta25
終わってしまった世界 で、昔読んだ現代文の文章を思い出したtakker
> そこで、「汚れつちまつた悲しみに……」と感傷を歌うのではなく、失われた過去の復興を目指すのでもなく(「死んだ子は可愛い」と言うように、「失われた」と思う気持がつねに過去を美化します)、「すべてを経験した」者として、「破滅」や「終末」さえ潜った者として、「人間の死」の後に「黒い雨」を浴びて生き残った<人間>として、「歴史の終り」を生きる、つまり「西欧的歴史」の自閉を離脱してゆくのが、われわれの「これから」なのです。
おそらく アポカリプス以後 あたりの抜粋だと思う
これを読んで、「Game Overしてなお生きることを強いられている世界」を想像した。

終わっていく世界でも楽しめると思う
沈む船にわざわざ乗り込む、ということ
楽しみたいyuta25

>あのとき感じていたインターネットは、終わっている一方で、始まってもいる

生まれたその瞬間から死に向かって終わりが始まるのだ、と考えると、命にはそれ以外の選択肢はない june29