終わっていく世界で生きること
世界を考えると、ほとんど全てのことは終わっていくもので、新たに始まるものと出会えるチャンスは多くない
世界というものは、すでに始まっていて、ゆっくりと
終わりつつあるもの、である
二つのことを考える
どうやって終わっていく世界で生きるか
自分は考古学的気質(または墓掘り)なのでいつでも、終わっていく世界、終わってしまった世界のことを考えている
世界は屍だらけ
先見日記、無くなってた
かっこいいい
終わってしまった世界
で、昔読んだ現代文の文章を思い出した
> そこで、「汚れつちまつた悲しみに……」と感傷を歌うのではなく、失われた過去の復興を目指すのでもなく(「死んだ子は可愛い」と言うように、「失われた」と思う気持がつねに過去を美化します)、「すべてを経験した」者として、「破滅」や「終末」さえ潜った者として、「人間の死」の後に「黒い雨」を浴びて生き残った<人間>として、「歴史の終り」を生きる、つまり「西欧的歴史」の自閉を離脱してゆくのが、われわれの「これから」なのです。
おそらく アポカリプス以後
あたりの抜粋だと思う
これを読んで、「Game Overしてなお生きることを強いられている世界」を想像した。
終わっていく世界でも楽しめると思う
沈む船にわざわざ乗り込む、ということ
楽しみたい
>あのとき感じていたインターネットは、終わっている一方で、始まってもいる
生まれたその瞬間から死に向かって
終わりが始まるのだ、と考えると、命にはそれ以外の選択肢はない