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2007年のインターネット
そのスタートは shibuya.js だった
2006

さらに遡ること2005
> ヤバイ、JavaScriptマジヤバイ https://secondlife.hatenablog.jp/entry/20050108/1105117903

「自分たちのものにする」「乗っ取る」みたいなノリで使う。そういうふうに世界を捉えていいんだな、って気がついたのが2007年のインターネットだった。

>2007 年というのはぼくにとっては「大当たりの年」で、Twitter と Tumblr と Ustream に出会えたのがこの年なんです。たかだか半年くらいの間にこれら 3 つの刺激的なプロダクトがぼくの生活に立て続けに入り込んできて、各種書籍やウェブメディアが声高に叫ぶ「ウェブは次のバージョンに進化したんだ!」というのが、決して夢物語ではなく、実際にぼくの生活を塗り替えていくものなんだと感じる日々でした。 https://june29.jp/2018/03/30/in-the-last-decade-with-twitter-and-github/

2011年というのは
tumblrreblog の post 数に上限を設定したのと、
Greasemonkey がユーザースクリプト間の unsafeWindow 共有を止めたタイミングだった
LDRize/minibuffer を利用していたスニペットと、
AutoPagerize のフィルタースクリプトが止まった
そのなかの一つに Endless Summer on dsbd もあった
ノスタルジーとかそういうチンケな話ではなくて、文化になりそうな、そういう可能性が終わるのを見た
それはゆっくりと死んでいった
それは今も続いている
僕は2011年よりあと(2014年ぐらい)にユーザースクリプトやユーザーCSSでブラウザを自分好みにカスタムしたりすることの面白さを知ったけど、なんとなくどこも残り香的な感じで、終わっていっているようなことは感じていたyuta25

その極値点だったのが Tumblr Developer's Meetup 2011 と思う
使う人たちが開発者と対等だった、というかもっとエラソーだった
それは、与える人と与えられる人みたいな関係じゃなくって
うまく言えない

そういうふうに世界を捉えることが出来たのは、
たまたまインターネットがまだユルユルで unsafeWindow で世界が弄り放題だったり
eval の第2引数の話だったり(内容を忘れた)
そういう技術の未熟さが生み出す「自由」の話、ローレンス・レッシグCODE で言ってた(忘れた)