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ソーシャルミュージック

> 秋吉はジャズソーシャルミュージックであると定義した上で、こう語っている。「ジャズという音楽はまわりのプレイヤー達がお互いに刺激し合って瞬間的に創られる即興演奏に醍醐味があり、刺激が少なければ上達しにくい。まわりのプレイヤーたちが上手ければ上手いほど自分も上達する。ヨーロッパに移住してアメリカにいた時より上達したプレイヤーはほとんどいない。」 1960年代という、現在よりもはるかに人種間の壁の高かった時代に、女性の身で極東から海を渡って本場アメリカで大変な苦労をしたに違いない彼女の自負を感じさせる言葉である。 http://www.banshodo.com/webook/jazznight/061_bud_powell.html

> 秋吉敏子さんが出ていて、「JAZZはSOCIAL MUSICだから(云々)」ということを言われたのを聞き、はっとなった。短い言葉の中で秋吉さんがどういう意味で「ジャズは社会的な音楽だ」と言ったのは正確にはわからないが、僕はこう解釈した。ジャズという音楽の特殊性は、極めて演奏者相互のインター(インナー)プレイの比率が高いことだ。それは楽譜にはないアドリブ主体というもう一つの特殊性からくるものだが、聴衆に聴かせるというより、まず共演者が互いの演奏を聴きまた聞かせることが先行する。極端に言えば、商業音楽ながら演奏家(という聴衆)だけで自己完結しかねない不思議な音楽なのだ。それがため個人一人でソロイストとしてどれだけ優秀でも優れたジャズ演奏家にはなれない。必ずセッションをして腕を磨いてく必要があるのだ。それがため多くのジャズメンにインタビューをすると若い時に誰と一緒に演奏したことがあるかを誇らしげに語るのだ。 さらに一つ一つのセッションを単位として、血脈、地脈、人脈を通じてジャズ社会(コミュニティ)が形成される。地脈でいうと、アメリカではニューヨークやロスといった主要場所の他にデトロイト、フィラデルフィア、シカゴ、セントルイス、テキサス、ニューオリンズ、メンフィスなどの地域でジャズ社会が形成されている。勿論、アメリカ以外でもイギリスやドイツ、イタリア、スウェーデン、日本といった場所でもローカルなジャズ社会がある。 http://www.banshodo.com/webook/jazznight/035_peterson_shakespearian.html