> さうして、必ず舞台女優でなければといふわけではなく、レビュウの踊子でもいいんだからと、独語でも呟く工合にブツブツ口の中で言つてゐたが、又その次には違つた調子で、グイと膝をのりだしながら、ダンスホールのダンサアだつていいんだから一通りのソシアルダンスを覚える手蔓だけでも与へてくれないかと言ひだしたりした。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42981_21012.html
> 彼はまた、「未来の人類に」(der knftigen Menschheit)役立つこと(一八一五年)ともいっている。 この考えについて、われわれは思い違いをしないようにしよう! 功利的なもくろみに屈従する芸術、デモクラシーへの御用のために(ad usum)製造せられ、もしくは修正されるところの芸術――今日「社会的(ソシアル)」芸術と呼ばれているもの――に、それは何ら関するところはないのである。否。芸術はベートーヴェンにとってはそれ自身において一つの目的である。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001093/files/54935_47584.html
> 赤の密偵と、赤系と白系が縒よりまざってまるで理髪屋の標柱のような哈爾賓ハルビンの社会相が、ここにそのままの縮図を見せているのだった。何というもの淋しい「過去と未来を同時に呼吸する群」であろう! いまだにニコライ・ロマノフの写真を飾って上帝に十字を切る一団、北東の秘密活動本部をここへおく第三国際の宣伝員、すべての主義と世の動きとをよそに在りし日を夢みる階級――それらの露西亜人とその家族たちが、しばらく政治と闘争と謀策を中止して一夜の受楽のためにこうして集あつまっているのだ。これでも大きな社交的出来事(ソシアル・オケイジョン)のひとつとみえて、タキシイドの男と粗末なデコルテがあちこちに見受けられるが、無理にも場合を作って明るい宵を持とうとする彼等の努力に、泪なみだぐましい泣笑いがひそんでいる。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000272/files/4365_8008.html
> 「そうして見ると、その道徳というものは自己が造るものでありながら、利他的であり、social(ソシアル) であるのですね」 「無論そうさ。自己が造った個人的道徳が公共的になるのを、飛躍だの、復活だのと云うのだね。だから積極的新人が出来れば、社会問題も内部から解決せられるわけでしょう」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2522_5002.html
> 丁抹(デンマーク)には、夏至祭(ミッズ・ソシアル・フィースト)といって、毎年六月の二十二、三日頃には、二日も三日もブッ通しに国を挙げて祝う、盛大な祭りがある。 ちょうどその夏至祭げしさいも、いよいよ旬日の彼方かなたに近付いて、それをアテ込んだ商店の花自動車が予行しているのであろう。この老人と話している時、急に窓の下がさざめいて、楽隊車を先頭に六台も七台も、花で飾りたてた車の上に仮装の人物たちが乗って、マングス街の方から練って来た。 「ほほう、これは面白い物が、来ましたな」 https://www.aozora.gr.jp/cards/001397/files/51249_62850.html