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藤村靖
1965年から東京大学医学部に設置された音声・言語医学研究施設(RILP)で教授を務めた。
1969年から1973年にかけて研究施設の研究長を務め、その間に数多くの重要な音声研究の論文を発表している。
1974年には東京大学文学部言語学研究室の助教授、及び東京大学医学系研究科生理学講座の講座長を務めていた。
1973年にはアメリカ合衆国ニュージャージー州Murray Hillにあるベル研究所(AT&T Bell Labs) に移った。
1984年まで言語学・音声分析研究部門の研究部長(研究リーダー)を、
1987年まで言語学・人工知能研究部門の研究部長(研究リーダー)を、そして
1988年まで人工知能部門の研究部長(研究リーダー)を務めた。
この時期、藤村は数多くの科学者と共同研究を行い、Mark Liberman, Janet Pierrehumbert, William Poser, Mary Beckman, Marian Macchi, Sue Hertz, Jan Edwards, Julia Hirschbergといった若い研究者たちの育成に尽力した。藤村の言語学全般に関わる幅広い洞察力はベル研究所でポスドク研究員していた理論音韻論学者のJohn McCarthyや理論意味論学者のBarbara Parteeらに影響を与えたことからも分かる。
情報処理18巻9号 1977-09-15
> 終りにUNIXに接する機会を与えて頂いたベル研究所藤村靖氏や Peter Denes氏を始めとする関係者の方々に謝意を表したい.
> 1972年には第2部門として音声生理部門が新設され,また工学部の先生方の協力も得られて研究体制が更に整うことになった。図–1 はこの頃の主要なスタッフの写真で若かりし頃の先生の姿が写されている。
> しかし,それから余り年月が経たないうちに,先生がベル研究所へ移られることになったのは我々にとって大きなショックであった。
> 日本音響学会誌73巻11号(2017)
> 図-1
> 東大音声研音声言語生理部門発足当時のスタッフ(職名は1973年当時のもの)
> 前列(左から) :切替一郎名誉教授、藤村靖教授(科学部門)
> 後列(左から) :廣瀬肇助教授(生理部門),藤崎博也教授(工学部:兼任),澤島政行教授(生理部門),桐谷滋助教授(科学部門)、石田晴久助教授(大型計算機センター:兼任)
> また石田晴久氏をベル研に招聘することで,結果的に日本にUnix文化を紹介するなど,先生の研究は電子計算機つまりコンピュータと深い関係があった。私生活でも晩年まで常にマックブックを持ち歩いておられた。