ハレとケ
柳田國男による時間論的な
日本人の伝統的な世界観。ハレとケは時間的交替をする
原初的社会(部族段階)では、ハレとケが交代する
高文化社会(階層を抱えた文明段階)では、階層頂点にハレがあてがわれ、残りがハレとケの交代を免除される。〈聖性の空間化〉
近代社会では、社会が
世俗化され、個人の信仰に聖性の起源が帰属される。〈聖性の主観化〉
バタイユによれば、二度の「否認」が〈聖なるもの〉をつくりだす
「第一の否認」は、〈
動物〉から〈
人間〉へ、〈
自然〉から〈
文化〉への移行段階で行なわれる。
> 〈自然〉から〈文化〉が生まれるのではなく、〈文化〉がつくりだされることで、その影の部分に〈自然〉というカテゴリーが成立するのだ。
心理学的には、
意識の発生によってその影の部分に
無意識という領域がつくられること
「第二の否認」は、
> 人間が服を着ることによってはじめて、その影の部分に、恥ずかしい裸という領域が成立する。〈俗なる〉労働の領域では、服を脱いで裸になることは禁止されているが、いったん禁止されることで設定された〈動物的〉な領域が、あらためて侵犯されるとき、それはもはや〈動物的〉な領域としてではなく、〈聖なる〉祝祭の領域として立ち現れてくる。これが「第二の否認」である。わざわざ服を着ることを義務づけておきながら、その上で服を脱ぐという倒錯した手続きを経てはじめて、エロティシズムという〈聖なる〉感覚が産み出されるのだ。
心理学的には、抑圧されていた無意識的な情報が意識に上ってくること
このとき意識は保たれたまま、意識の状態が変容し、むしろ意識の領域は拡張する、「
変性意識状態」になっている