generated at
ダーティハリー
1972年発表の映画

北村紗衣の記事、メチャクチャな犯人とダメダメな刑事のポンコツ頂上対決? 『ダーティハリー』を初めて見たが話題になっていたので、そう言えば自分も見てないなということで見てみたダーティハリー。先入観なしに見たつもりだが、フツーにおもしろかったし、楽しめたのが自分でも意外だった。いい映画だなと。

確かに北村の言う通りスコーピオも無能ならハリーも無能なのだが、あまりにもどちらも無能過ぎて(笑)逆にあれこれ気にしないモードでこちらも視聴できたんだと思う。期待するリアリティのレベルが最初っから下がってるっていうか。荒木飛呂彦の漫画を実写で見てるような気持ちで見ていた(影響関係は逆だが)。

まず、ハリーもスコーピオも何がしたいのかよくわからない。

スコーピオは結局、人殺しがしたいのか、カネが欲しいのか、嫌がらせがしたいのか。高価な銃を買いまくったり、高い入院費を払ったり、人に大金を払って殴ってもらったりしているので、市長にお金を要求するものの、カネ目的ではないとは思うし、殺すのだけが目的ならいちいち犯行声明出したり、殺人予告する必要はないので、本当にただただ嫌がらせ目的だったのだと思われる。薬莢くらい拾えよ......。

つかまりたくないのか、それともどこまでも追いかけてほしいのかもわからない。途中自分をわざと黒人に殴らせて大怪我し「キャラハン刑事にやられたんだ!」と自作自演までしてメディアに報道させることで、ハリーに濡れ衣を着せ、捜査できないようにしたのに、その直後、まだハリーに刺され撃たれた足の傷も癒えない中、今度は殺人どころかバスジャック! 別に北村じゃなくたって、こんなシーンを観れば「お前、一体何がしたいねん......」と思うだろう。

対するハリーもその名の通り、汚れ役。上司からあれこれ文句を言われたり、検事から叱られたりしながらも、命がけで強盗を取り押さえたり、犯人の命令通りに大金の入った黄色いバッグを持って、あちこちの公衆電話を走り回ったりしており、それはまあ業務だから歯を食いしばってやっているのかもしれないが、非番の時でもスコーピオを尾行していたりして、逆に「余計なことするな」「何やってんだ」と怒られる始末で、一体何のモチベーションがあってこの仕事をしているのかもよくわからない。

ハリーは妻を亡くしている。妻が過去に犯罪者に殺されたとかなら、なるほど、そういう思いがあるのだなと理解できるのだが、妻が死んだのは泥酔したトラックに帰り道にぶつけられたせいだ。酔っ払い運転も殺人も違法行為という意味では同じだ、許さないんだというモチベーションかもしれないが、だとすると捜査令状も持たず、正当な手続きも手順もすっ飛ばしてまで犯人を追い詰めようとするハリーの行動自体がイリーガル、少なくともコンプライアンス違反であり、その信念と行動が矛盾することになってしまう。劇中、「あなたはなぜ刑事を?」と聞かれたハリーは答える「わからん」。まったくその通りで、視聴者にもハリーが戦う動機がいまいち理解できないのである。

そう、この映画、リアリティや人間的な心情に共感させるつくりにはまったくなっていない。けれどもなんか「わかる」し、逆になんか不思議なリアリティがあるし、共感もできてしまう。なぜか。

考えてみれば、多くの人は別に望んで今の仕事をしているわけではない。「あなたはなぜコンビニの店員に?」とか「なぜ自動車修理工に?」とか言われても「わからん」「さあね」と言うしかないことだってあるだろう。「妻のため、家庭のためですよ」って言ったって、家庭がある人ばかりでもない。それでも、今すぐ撃ち殺したいようなクソ客に丁寧に接客したり、よかれと思って何かをしては現場もろくに知らぬ上司から「何やってんだ」「余計なことするな」と叱られたりしてるわけだ。

そんな職場での理不尽やクソ客といった環境条件に、視聴者はハリーと自分を重ねあわせてスカッとする。スコーピオの命令通りに待ち合わせ場所の公衆電話を何ヶ所も不条理に走り回された末に、とうとうスコーピオを追い詰め、ハリーが投げたナイフが刺さった時のスコーピオの絶叫!!そしてスコーピオの傷口を踏みつけるハリー。胸がすくとはこういうことだ。

他方、スコーピオのほうも先述した通り、あまりにも無茶苦茶でいきあたりばったりな犯人なのだが、たとえば無辜の民を残虐に何人も殺しといていざ自分が撃たれると「ヒィィィ、た、助けてくれーッ!お、お、オレには権利があるんだぞォォ」などという被害者ムーブをかますスコーピオの姿は、返り討ちにあうのは明白だし、下手すりゃ訴訟されることが明らかなのに、それでも根拠なく北村に挑んでいき、どんだけ打ちのめされても北村に執着しつづける、こちらの理解を越えた「情熱だけはある根性ねじまがったネットの間抜け」そのものである。確かに「なんだこの犯人は」と思うのだが、根幹で実は「結構いるんじゃない、こういうやつら」と思わされるのだ。

それでいいのであって、そこにリアリティがない、まぬけすぎてて話があんま入ってこないというツッコミは、まあまったくその通りなのだが、二郎のラーメンに「健康に悪いし食べ物としてバランスが狂ってる。まったくおいしくないです!」と言うのと同じようなもんだろう。映画だろうがラーメンだろうが、いろんな楽しみ方ができるわけで、別に楽しめない人が楽しめない理由を語ったところでそんなにムキになる必要もないし、「ほんまやな(笑)」でいいんじゃないだろうか。