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以下、あれこれ迷っているけれど、における写像とは限りません。公理的に考えよう。
射というと写像を想像しがちだけど、射は写像の集合になってることが多いのではない?
多いというと語弊があるけど、言いたいのは写像と考えると「集合と要素のずれ」のまま本を読み進めそうだということを言いたい。
いや、そうじゃない。やっぱり写像だと考えた方がいい。たとえば[恒等射\text{id}_a: a \to aだけど、これは写像だよね。]
上のはメタ圏を勘違いしているからなのかな。