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言葉の定義ではなく事象にこだわる
議論をうまくやるためには、「定義する」ではなく「名指す」とよい%「定義」や「名指す」という表現はミスリーディングだったと反省

このページの経緯
議論法」というページがあった
そこから「定義ではなく名指す」というページが切り出された
それが「言葉の定義ではなく事象にこだわる」に改題された

議論をするときは、「定義する」のをやめて、「名指す」をすればいい、と主張された

なぜ「定義する」をやめて「名指す」をすればいいのか
その理由として2つ挙げられた
2. 言葉を個人が自由に定義できると考えるのがそもそもの間違いだから

なぜ議論では言葉を定義するべきなのか
この問いに対して、「議論を円滑にするため」という答えがありうる
定義の目的は、議論において話の食いちがうが起こることを防ぐことだ
しかし、「定義は議論を円滑にしない」と久住哲が主張。
そこに異議があった。

>議論の前に言葉を定義することが議論を円滑にするとは思われない。仮に円滑になったとしても、その議論からは初めから決まっていた結論が演繹されるにすぎない
なぜだろう?定義ではなく名指す#61dcb49fcc1fc10000677abeここで述べられているような効果は(ある程度)定義にはあり、だから論文とかでも実際に行われているのだと思うのだが。
議論の定義について#6118bdc2cc1fc10000eb9a92で述べられているような「根拠づけられた主張」としての議論であれば、効果はある。どういう効果かというと、概念や現象を論文中で扱いやすくなる。

ネット議論における「定義」
ネット上の議論では定義が有効ではない
↑「ネット上の議論」にも色々あるし、定義の有効性も色々ある。
定義は無視されがち
「私の定義」として固定されがち
ネットでなくても、複数の人がその場で同時にやり取りするときには、「定義」に議論の円滑化の効果はさほどない

「定義は調整できない」という問題提起。そこに異議あり。
そこから定義は調整されうるかという問題が浮上。


「名指す」について久住哲が色々と書く
「名指す」の具体例を問われ、一応の回答をする。


hr
コメント
いくつかの論点が混在している
「定義」と「名指し」という表現の適切さとか、その意味とか%不適切と判断
それらの「調整」という表現の適切さとか、その意味とか→定義は調整されうるかで検討
自分の定義だとか自分の語感だとかいう、そういう「自己表現」についてのこととか

2022/1/11のログ
定義は調整されうるかに関連しそうな箇所を切り出して別ページに移動した
色々と別ページに切り出した
過去ログについてはPage historyで一部見れます。

>「命名」と「定義付け」の対立軸は、「事象を扱う」と「言葉を扱う」か?
そんなかんじです。
色々みてますが、もしかするとタイトルは「言葉の定義ではなく事象にこだわる」みたいなものの方がいいのかもしれない。
たしかに
「命名」でも「名指す」でも微妙に「こういうもの」と言う作業が入る気がして、「こういうもののことをAと呼ぶ」と宣言する作業は、「定義する」という言葉に乗っ取られそうな気がする。「事象Aのことを単語Bと呼ぶ」という定義づけ、ととらえられそうだから、混乱する。よりは骨子の「言葉の定義にこだわらず、互いが指してる事象の違いを見る」としたほうが主張がスムーズそう。
>「名指し」と呼ばれている作業も、「定義する」という作業に含まれるような気がする定義は調整されうるか#61dd1331cc1fc10000b66fae
というコメントも、ここらへんについての指摘だろう

Aさん:「事象Aのことを単語Bと呼ぶ/呼んでいる」/ Bさん:「事象Bのことを単語Bと呼ぶ/呼んでいる」
二人は同じ単語Bを使って議論しているが、指す事象が違うために話が噛み合わず、不毛な議論になりかけている。
このとき、「単語Bが事象A,事象Bどちらを指すか、あるいはどちらも指すか」を議論しない
むしろ単語Bから離れるように「事象A・事象Bそれぞれに新しい名前をつける」ことで議論の明瞭化を試みる
というようなことだと思った。