虚構による真実の誕生
『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇 (文春文庫)』から、
臼井吉見による
太宰治の解説より。
>「ダス・ゲマイネ」は、「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」「二十世紀旗手」など一連の作品と同じく、パビナール中毒に苦しんでいた時期に書かれたもの。これらの作品で語ろうとしたのは、事件でもなく、心理でもなかった。そういうものを語りたいのであったら、私小説の形式がふさわしいかもしれない。私小説のべたついた、なまなましさを嫌うなら、客観小説の形式をとることもできる。ところが、太宰の語ろうというのが、自分の全存在にかかわる、にがい苦悩の真実であるからには、これらいずれの形式でも手にあまるものだったのだ。私小説は、あまりに日常的な心理と行動の報告めいて真実に遠く、客観小説は、これまた、そらぞらしく、厳粛な態度をとればとるほど、てれくさいものにならざるをえない。太宰はどちらの形式にもたよることができず、私小説の「私」のなかへ、客観小説の「彼」が侵入し、客観小説の「彼」のなかへ、私小説の「私」がまぎれこむような、混乱した形式を採用しなければならなかったのである。多くの作家が、それぞれの資質と、それぞれの場合において、なんの不安もなく信頼している、この二つの小説形式を信頼できなかったところに、自己を喪失した作者の、いのちを賭けた苦悩の真実の表現を見出すのである。自己喪失者の自己表現が、以上のような形式の革命を実行しなければならなくなった事情を見のがしてはならぬということである。
>こういう混乱形式なら、すでに「贋金づくり」があるではないかというひとがいるかもしれない。無論、ジイドに学んだにはちがいないが、ジイドの創めた混乱形式をそれとして真似たのではない。このような混乱形式によらなければ、おのれの全的存在を表現できないような悲劇を強いられた個性的な作家が出現したということにほかならない。
>自己解体を迫られ、屈辱感にまみれた個性的作家にとって、リアリズムほど味気ないものはなかっただろう。すべてを時間的経過に即して整序するところに成立する自然主義ふうのリアリズムは、その時間的整序の作用のなかに、噓の入りこむのを拒みえないものに見えたであろう。リアリズムのいわば純粋化の結晶が私小説であるというのが、私小説作家の信念であるにちがいない。だが、私小説ほど噓のかたまりはないというのが太宰の考えではなかったろうか。ほんとうのことを口にするとき、たちまち噓になりやすい。ほんとうのことであればあるだけ噓になる。ここに、太宰の作家的苦悩があったのではなかろうか。虚構による真実の誕生を太宰くらいおのれの資質から信じていた作家はなかったのである。
「
ダマ・ゲマイネ」などの一連の作品群は太宰治がバビナール中毒に苦しんでいたときに書かれたものだが、解説の臼井吉見によるとこれらの作品群で(もしかしたら太宰治の作家スタイルとして)、
太宰は私小説の「私」のなかへ、客観小説の「彼」が侵入し、客観小説の「彼」のなかへ、私小説の「私」がまぎれこむような、混乱した形式を採っているという。
そして、その混乱した形式から太宰は「私小説ほど嘘のかたまりはない」と思っていたのではないかと推測を立てている。
私小説とは定義上、「虚構化することなく、作家自身の体験や心理をそのままに描いた小説」だとされるが、人間の記憶は過去へと遡れば遡るほど曖昧になっていく以上、どうやっても完璧な私小説というのはありえないものなのかもしれない。
そう考えると、私小説は「作家の体験や心理を嘘偽りなく描いているという前提の上で成り立っている虚構の物語」ということになり、私小説の中では虚構が真実へと化している。
また、臼井はこの引用の前の部分で太宰治についてこのようにも書いている。
>一人称で語られたいわゆる私小説めいた作品においても、太宰は虚構の粉飾を施さずにはおかなかった。太宰治は、骨の髄までの小説家であった。
太宰治は虚構による真実の表現、自己喪失者の自己表現というものを最も追求した作家と言えるのかもしれない(?)