数学史
数学とは何か.........? それはどこが発端なのか....ちょっとでも考えたことがある人向けの記事.
↑こういうの....は好まれないので筆者の書く文章では
(できるだけ排除したので)わりと出てきません
基本的に
数学者の
人生と
現代の
知識とかとか...各々の数学者の人生や作ったもの(実用された
数式)とがどう結びついてるかを書きます
難しいコトバはなるだけ使わない感じに書きま.
関連性を俯瞰視して、どの単元や科目が関連づいているのか?
歴史上において二度同じことを繰り返さずスマートな感じで解法を出力する手法は
存在するか。そしてそれは再現
可能なのか?・・・という目線
不明点はそのままにしてはいけない。聞くか見るか、或いは己の手で調べよ
記事書く上での、編集方針
数学のくくりは広めであり、また古代から数学らしきものが使われていた。
痕跡があるので 適度に数学っぽさが入っていて歴史的側面からの視点ならば何書いてもおk
二目標、より厳密に、既存の枠組みを多少崩して書いてみよう
ヨリミチ
遠くから話しかけてくる謎の人「おいおいおいおいおい,おおい!!おい、ちょっと待てい」 2- 実用化したい人向けの別の記事を作ったぞ
レベルの理解度で十分って場合はこっち!!
たぶん目次
とりあえず五項目つくった 実際にはそれより幾らか多い
文字数カウントした結果13998字(だいたい1.4万文字)ほどあることが分かったゾイ 時間ある人向けだね・・・。
ピラミッドと直角
エジプト王とアルキメデス
幾何学とエウクレイデスの原論
レオンハルトオイラー頭良すぎ
インドの天才ラマヌジャン
PCで見てる奴へ おっとCtrl+Fで検索窓が出るから
もし、気になる数学者が既にいる場合はそこから調べると効率的に見られるぞ。活字大好きな人は上から順に読んで見てくださいな。
本編このへんから⇩
この記事の目的、数学を志している人やちょっと苦手だった人 いやいや平均的なスコアだったよっていう人向けに
もう一度数学という学問の良さとか美しさとかに気づくキッカケになればいいなあ と思って見た人が心動かされる指標や看板のような記事を作りたい。
要するにクッソ数学苦手勢を説得するのは諦めてちょーっとだけでも数学に関心があるヒト さんすうを発展させたいヒト向けの記事にしまた、要望とかあったらVC繋がってるときに俺(T-28)に言ってくれればそれなりに対応します。
始めましょう
この辺に雑な年表
さて、どこから話をしようか。始まりから話を始めましょう 少なくとも今は始まりだと思っているトコロからね。
一説によれば 数学はエジプトのピラミッド建設計画を建てる時に
役立つ学問はないかと探した時に作られ、開発され、利用されたのが数学の始まり...とされている
年ぐらい2600 BC
テキトーなピラミッドの図
何故ピラミッドと数学に接点があるのか?という話が飛んできそうなのでそこから
ピラミッドを建設するのに膨大な時間、資材、人が必要になるからである。その際に計画段階で埋められる穴、詰まり失敗要因があるのに強行されたら大変だからである
その穴を防ぎ可及的早い段階でミスが発生しないようにする為 建設計画に数学が使われたのであるらしい
例えば、ピラミッドは最大までズレているものでも
東西南北の方角から0.9度程しかズれていない{ピラミッドは東西南北に正確に向いて居るのである}科学系雑誌にそんな感じのことが書かれていたような気がする
これには直角の概念が使われていたのでありますが...
当時、大型のコンパスをいちいち用意しているヒマはない(そもそも当時コンパスはあるのか?)
なので、縄を用意する 当時縄はり師という職業があり、用意するものは任意の長さの輪で結構 輪っかはヒモを結んだもので結構、蜘蛛の糸を用意したヒトはちぎらないように気をつけながら使おう この輪に平等に12つ結び目を作り そして... 5・4・3の比率に分け三角形を作ればこの内もっとも大きい角度が直角になります これを使ってきれいな直角を生み出し、ピラミッドのできる位置に地面に線を引いてそれから石材を組んでひとつずつ積んでピラミッドが完成するのである(途中の困難については、ここでは触れない)
↑ものすごい適当な直角三角形
↑こんな形になるようにヒモをセットして 直角をアレしたらしい。※3と5の間は60度角度であり、4と5の角度が30度であると仮定する だいぶ歪んでいるがそんなものは気のせいである)
出典なんか知らんがすごーく昔に読んだ本にあった所
{この辺にソースを}
もっと知りたい人向けリンク
↑数学史 短縮URLでwikipediaに飛びます たぶん。
もうちょっとだけ時間を先に進めてみましょうか
エジプト王「(ユークリッドの話は複雑すぎるので)もう少し簡単な説明はないのか?」
ユークリッド「ありません。幾何学に王道はないのです」
有名なやりとりなので、どこかで同じセリフを見聞きしたことも在るかと思いますが
これは
学問(今回は幾何の場合で)を学ぶ上では、一見して複雑で途方も無いぐらい長い道のりを歩いて辛抱しなくてはならない というような場合でも (学ぶ上での)王道とはやはりその長い道のりを自分の足で一歩ずつ踏みしめながら進んでいくしか無い 学問を学ぶ上では気長に根気強く学び続けるのが最終的には一番の近道になる。
ということであります。多分。ジョジョの登場人物やイチローも似たようなことを言ってましたね
まだ、先は長いのですが、徐々に現代に近づいていっていますね。
このユークリッドが遺したユークリッド原論は一読しましたが挿絵を見ないと何を言っているのかは分かりかねましたが
当時の数学の極めて基本的な内容...幾何学と数論についての記述がありました 私は挿絵を見ないと具体的なイメージとして何を言っているのかわかりませんでした(大事なことなので二度言いました
ここまでの参照リンク
↑ユークリッド
次。
だいたい紀元前212年ぐらい
⊂二二二( ^ω^)二⊃ | / ブーン
あるきめです「ヘウレーカ!ヘウレーカ!!」
民衆「分かったから服を着ろ!恥ずかしい!!」
ふざけているわけでもストリーキングをしているわけではない 彼は閃いたのである。
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]
↑ 王冠の絵
ここまで四分の一ぐらい のこり四分の三ぐらい(まだまだある
古代ギリシャのヒエロン王は、王冠を作るため 熟練の金細工職人を召喚し 作成に着手するよう命じます
無事に完成はしたもののとある疑問、この金塊に混ぜものをして純粋な金の王冠ではないのではないか? と
職人に手渡した金の重さと金冠の重さを秤にかけ 比べましたが同じでありました。
この結果にのみ満足せずまだ疑う王は、この疑念を解決するため アルキメデスを呼び
「王冠を一切傷つけることなく、真の王冠であるか それとも偽物の冠であるか を確かめよ」と命じます。
アルキメデスはその解決策を思いつかないまま入浴をします
その時、お湯が湯船からあふれる様子を見て"お湯があふれる→密度の高い物体が水に混入したから→溢れた水から密度を推測することが出来る→王冠に対しても同様に使える→ちょwwww死刑免れたwwwww勝ったwwwwww"という思考をし
歓喜の余り、そのまま裸のまま町中に飛び出しヘウレーカ!
ヘウレーカ!!と叫びながら走り回ったらしい ←この一行の事柄だけは要出典
みごとアルキメデスは浮力の原理を用いて冠が純金と、密度が異なることに気づき
職人が混ぜものをして作成した冠を大きく作り誤魔化したことを立証したのです 余談だが職人は死罪になった
後の世では、この浮力の原理のことをアルキメデスの原理と言います
この実験自体は手軽に実行できるため 入浴した時に試してみましょう
いやいや、やはりもっと知りたいぞ?という人向けリンク
↑アルキメデスの Wikipediaのページ
↑アルキメデスに学ぶ
ここで Q.
本業は...?知識人と呼ばれてたであろうことは明らかではあるが。
↓書いた
はいはーい追記しますよー
後日、詳しく調べてみたトコロ 比較的詳細にわかったことがあるのでそれについて。
a.古代ギリシャの数学者 / 物理学者 /力学者
b.アルキメデスの父から引き継いだ分野は天文学/機械学者 ・・・を最初専門としていたらし
c.技術者?・・・だったらしいよ
d.彼は数学者である(断言
e.父が天文学者
f.上流階級である(シュラクサイ)。
g.当時、最大級の学者で創造的な数理学者であった。
h.{記述なし} ...アルキメデスは紀元前212年に死亡した。
?.アルキメデスの祖父は芸術家だった。
余談;名前の意味について
Archimedes(アルキメデス)は造語で
アルケー+メードスという二単語を組み合わせた名前であり
その意味合いは最高の知性という意味らしい 個人的意見→かっちょいい
参考資料こちら8冊
アルファベットと数字は対応していません ご了承くだされ。
1.解読! アルキメデス写本 (日本語) 単行本
2.素顔の数学者たち―数学史に隠れた152のエピソード
3.100人の数学者 古代ギリシャから現代まで
4.数学をつくった天才たち
5.天才数学者列伝
6.世界数学者人名事典
7.アルキメデスを読む
8.よみがえる天才アルキメデス―無限との闘い
ここから完璧私見
俺の印象としては、数学者という一面が強く印象づいているけれども
(当時の資料が現代において殆ど残っていないとは言え)記録によると機械額や 物理にも名が通る程のスキルを持っていたので
印象が改まりました。質問が来たことにも感謝感謝。
この為だけに岡山県市立図書館にお世話になりました
レファレンスサービス経由で色んな人に助けてもらいながら調べました、ちょっと苦労した。でも楽しかった
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ギリシアの幾何学はエジプトの影響を受けて、タレス、
ピタゴラスに始まり、
エウクレイデス(英語:ユークリッド)の『原論』に集大成される。また、その途中にプラトンのアカメデイアの人々がその発展に大きく貢献したと言われている。
『原論』は全部で十三章から成り立っている。第一章は直線、平行線、三角形、第二章は面積、第三章は円、第四章は正多角形、第五章は比例、第六章は相似形、第七、八、九章は算術や整数論、第十章は無理数論、第十一章、十二、十三章は立体図形に関してである(しかしエウクレイデスは章にいちいち題名を設けているわけではない)。
原論は聖書の次に読まれた書籍だと言われている(数学系の学生は今や『原論』よりもヒルベルトの『幾何学基礎論』を読まされているかもしれない)。実際、人間の論理性を練磨するのに、これほどピッタリな教典はなかった。ヨーロッパの学校では、幾何学を必須の科目として課し、十九世紀の中頃までこの『原論』そのものが幾何学の教科書として用いられていたそうだ。
『原論』の命題47は普通、「ピュタゴラスの定理(三平方の定理)と言われるもので、原論第一章はこの命題を目標として構成されていると見る人もいる。
ピュタゴラスの定理
高校数学で習うピュタゴラスの定理(三平方の定理)とはもっぱらこれのことである。これの証明がエウクレイデスの『原論』でなされている。
[証明]
△ABCを、∠BACを直角とする直角三角形とせよ。BC上の正方形はBCEDが、AB、AC上の正方形の和に等しいことを証明する。
Aを通ってBDに平行線AJをひけ(命題31)。AD、ICを結べ。
△ABDと▢BDJKとは底辺、高さがそれぞれ等しいから、△ABD=1/2▢BDJK(命題41)
直線ABに対して、HAおよびACは同じ側にはなく、和が二直角に等しい接角(∠HABと∠BAC)を作るから、HACは一直線をなす(命題14)。
そうすれば、△BCIと▢BIHAとは、底辺、高さを等しくすることになるから、△IBC=1/2▢BIHA(命題41)
△IBCと△ABDにおいて、正方形の定義から、IBとBA、BDとBCは相等しい(IB=BA、BD=BC)
さらにまた、∠IBCと∠ABDは、等しいもの(∠IBAと∠CBD)に等しいもの(∠ABC)を加えたものだから相等しい(∠IBC=∠ABD(公理2)。ゆえに、△IBCと△ABDは合同である(命題4)。これより、定理7によって、△IBCと△ABDとは相等しいことがわかる。
よって、上の二つの式から▢BDJK=▢BIHA
全く同様にして、▢CEJK=▢ACFG
相等しいものに相等しいものを加えれば、その結果は相等しい(公理2)。よって、▢BIHAと▢ACFGとを加えたものは、▢BDJKと▢ACFGとを加えたものに等しい。これが証明されるべきことだった。
参考文献・書籍『数学序説 Math&Science』吉田洋一・赤攝也著
11世紀後半~12世紀中盤ぐらい
フィボナッチ数列をという特殊な数列を算盤の書で登場させた
これは何じゃいというと
ひまわりのタネの個数や 樹木の成長による葉の伸び方に法則性があるということを、示した数列である らしい あんまり詳しくない...。
日本的に言うとうさぎ算と言うものでフィボナッチ数列は出現するっぽい
付箋 こんなに再現性高くて良いのか・・・?
はいはいはい、次項目作りますよー
だいたい半分ぐらい
この辺俺の好きな所
> レオンハルト・オイラー{Leonhard Euler}
男性 通称;片目の数学者 数学界の二大巨人 数学に熱中しすぎて後の世の人からめっちゃ色々言われた人 隻眼とか中二っぽいよね
どんな功績遺した? 多すぎて わ け わ か ら ん 21世紀にもなって
かいつまんで説明をする。
↓リスト
19世紀の厳密化・抽象化時代の礎を築いた
数学に熱中しすぎて片目失ったという頭がおかしいエピソードが残っている
オイラー図、オイラー数、オイラー積分、オイラー線、オイラーの公式、
オイラーの等式、オイラーの五角数定理、オイラーの定数、(略)
後の世の人は言う
「ノリでオイラーの功績についてまとめて居たら、
やればやる程。彼の論文が出てきて。作業量が多すぎることに気づいた」
もっと身近な例を言えば 例えばスイスの10フラン紙幣の人物として選ばれた
アレクサンドル・ネフスキー大修道院で埋葬される76歳に、なるまで極めて膨大な量の論文を遺した人物
今回、切り込むのはフェルマーの最終定理についてではありますが
俺は頭が良くないので 彼の表面上の功績だけ攫って〆たいと思います。
それなに
↓を見ろ
書かれていた内容としてはこうだ "nが3以上の自然数であるとき x,y,zを同時に満たす自然数の組は存在しない"
という非常にシンプルでわかりやすい定理を解決する際に彼は
クリスティアン・ゴールドバッハに宛てた手紙の中でn = 3の場合の証明方法を書き残した
と言われています
俺はアホなのでココら辺ぐらいのことしかわかりませんでしたが
完全に解決するとまでは行かないまでも、重要な一歩を作った。
彼は、死ぬ瞬間までずっと数学について取り組んでいたらしい
その数、全集886編もの論文が確認されているが 1911年年から刊行されているがこの全集は現代に至るまで100年が経過しているにも関わらず未だに完結していない(らしい
2.素数
ちょっと道から外れる。
1737年オイラーが素数の逆数の和 ....これは 口述や文章での説明がややこしいのでまた挿絵を使います
が、無限大になっていくことを見つけました。素数の逆数を足していくとどんな数よりも大きくなっていく というのです
もし素数が有限個しかなかったとすれば それらの逆数の和は有限なので 逆数の和が無限大になることから素数が無限個あることは ここからも分かります(もうちょっとだけややこしいやり方{数学的帰納法}を使えば素数が無限個存在することが分かりますが ここでは記事のウケを狙って カンタンな方の方法を提示することにしました。
彼の論文や詳しい経緯やらの...詳しい話はクッソややっこしい数式やら詳しい記述(データ収集含む)が必要になりますが俺はアホの子でドジなので詳しい人にバトンタッチすることにしてこの辺りで一旦筆を下ろす事にします。
出典
↑ wikipedia
↑ 本 時空を超えた数学者の接点
↑どうしてもオイラーの論文読みたい人向け
ラマヌジャンについてはそんなに詳しくないけれど触りだけ書いておこう
フルネーム シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン 噛みそうな おナマエ
ラマヌジャンという字の印象からして分かる通り、彼はインド人だ。
正式名シュリニヴァーサ・ラマヌジャン{Srinivasa Aiyangar Ramanujan} (1887〜1920)
生まれが南インドであり 一言で言って天才だ (この記事には天才と呼ばれる人物が多数存在する。が 他に適切な表現が見当たらない
彼にとっては不運なことに数学的教養を得る機会がなかったので 信仰している宗教神のおかげで証明方法やとても素晴らしいアイデアが浮かんだというような人物であり
その信仰の対象はナマギーリ女神である
余談ではあるが ハーディが見舞いに診療所に訪れた際に1729がタクシーのナンバーだったと言い またさして特徴のない数字だったと言うと 彼は「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」と反論したという 後にタクシー数 またはハーディ・ラマヌジャン数と呼ばれる数値である
現代との接点としては
τ 関数("タウかんすう"と読む)
タクシー数とK3曲面
っと、ここでわたくしごとではありますが。この後も数学史自体の調査事態はしているものの、
データがバラバラで羅列に等しいぐらいいろんな話が残っているのでとりあえずここで筆を置いて後ほど回収及び編集に回ることにします
sorce
つづき
> フェルマー(フランス語 Pierre de Fermat)
フェルマー「(手紙を送りつけて)この数式説いてみ? うっわ解けないとかダサwwwww
手紙でヒントやるからもっぺんやってみろwwww」
5chの住人「お前この問題解けないとかダッサwwwwwwww
人生やり直すかママのお腹からやり直してこいwwwwwはい論破ーwwwwwww」
似てる
読者が似てると思ったか。思わないかどうかはひとまず棚上げにするとして
ピエール・ド・フェルマーはフランスの学者で、当時有力と呼ばれていた数学者に
手紙でおちょくりまくったらしい(それも難解な数式を送りつけて) 彼の最も影響力の高い功績はフェルマーの最終定理と呼ばれた当時フェルマー予想と呼ばれた定理で330年もの間未解決問題だったが ワイルズによって
その定理は真偽の程に決着が付いた。
この頁だけは、簡易的に書いただけなので後日加筆します。
フェルマーの最終定理を考案し、読んでいた本の余白に書いて 問題を遺したがあまりの高難易度だったため 彼の死後すぐには証明されなかったとされている。
-テキトーな記述-
フェルマーは生前にイロイロ手紙を送りつけたのでその時点で評価されたものも結構あるが彼は裁判官が本業だったので趣味の数学としての分野として取り組んでいました
結果何が起こったかというと彼の死後になってようやく遺族によって「ああ、彼は数学をやっていたのか」ということになり その遺品をまとめたものを遺族が本にしました
その出版された本は、そこそこ売れたらしい。そして悪夢が始まる(フェルマーの最終定理)
彼がやったこと
パスカルと共同で確率論の基礎を作った
解析幾何学もやったらしい
幾何学、微分積分学、数論も取り組んだらしい
この辺でコーヒーでも飲んでゆっくり話を続けましょう ただし道は枝葉の方に寄せる
「
循環小数について話をしましょう
・・・ジュンカンショウスウとは”ある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数のこと”を指します
オチだけ先に言うと1=0.9999999999999999999・・・
ギャグではありません。
もうちょっと詳しい話をすると
1=1/3+2/3
→1= 1/3 -> 0.33333・・・ 2/3 ->0.66666・・・
↓
1=0.99999・・・ ぐらいになる
略
確か無限等比級数で最後のケタが繰り上がるので1になる奴で等しくなったはず
」
じゃい、続きがんばりましょう、コーヒーも飲み終わったことだし
ここらへんでだいたい四分の三ぐらい あとちょっとでラスト
すげー簡単に業績を書くと、五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない
というアーベルの定理を簡略化し
与えられた方程式が代数的な解の表示を持つか。についての特徴づけを与えた(らしい)
ってこと ガロアかわいそう
この人は、非常に短命で 決闘で負傷してその傷が元で死亡してしまいました ガロアかわいそう
その決闘とは、ガロアが恋した人物とのトラブルが原因でした その裏面で何が起こっていたかは我々は知るすべは有りません(今は)ガロアかわいそう でもユウジンやオトウトが居たので最終的に評価された
西暦1811年生誕で1832歳死没 20歳でした
最期に言ったとされるコトバ「泣かないでくれ。 二十歳で死ぬのには、ありったけの勇気が要るのだから」と言われている
やっぱりというか なんというか当時の天才への見方は その当時の時代の水準から大きくかけ離れていた為 当時の18世紀の人々にも理解されなかった(らしい)
~ ちょっと待って下さい一人で書き続けるのは限界がある. ~
次 イスラム数学のアタリにメスを入れて書いてみたい {紀元前からいきなり17世紀に飛んでいるため}
緊急速報 イスラム数学は存在しない。イスラム系のトコロで発生した数学的試みはありそうだ そのため アラビア数字について軽く触れるという編集方針にします
[*# そういうことなので一旦編集を続けるのは諦め、低速更新に切り替え。
またこの記事の目的である 歴史的側面から数学を俯瞰視できるような記事という方向に再度舵切りをします。]
→太局図を展開する ということ 今まではちっこい地図をチマチマ延長していたのに対し 全世界がどのような形であるかを想像しながら加筆します
↓未完記事 (資料が手元にない為...資料が届き次第詳細に書きます)
Arabic numeralsにおいて
主に六世紀年代において 0が発明されその前後において普及した数学らしい 多分ね。そうだと思う。
何故、起源がインド数字なのに アラビア数字と呼ばれているかというとアラビアからヨーロッパに伝わりそこから普及したためである。日本ではその後定着したことから洋数字と呼ばれることもある(らしい。
筆算に用いる数字である為、算用数字(サンヨウスウジ)とも呼ぶっぽい。うにゅー。
詳細、ブラーフミー数字がこれの前段階として存在し 0の概念が発見されていなかったので この後六世紀に0が発明されてこれが四方に広まっていった。
この数字の表記方法における有用性 ...について記述しま↓
今まで(もっとも古典的なという意味)の方法で表記する場合
棒やヘフ、オタマジャクシを用いて 数字の数だけ並べて書くという方式だったものを
アラビア数字を導入することにより 記述が面倒ではない というコトガラと、概念としての数を記号として処理することで数の演算ができるようになることなので いちいち古典的な古代エジプト数字はあまり使われなくなったのです
エジプト数字のソース
↑このへん
Q、これマ?
A、応、やってみるか!!
やりましょう
↑やった結果
18:12 2020/11/26加筆
俺。O(うわ、俺字汚え...)
それはそれとして
はい!一目瞭然!!
エジプト数字を使うのは諦めてアラビア数字を用いましょう!閉廷!! →のAみたいなものは指 ジェババと々発音らしい ...それなんて発音するの?
オチ;数学すげえ!!
ここまでのソース
Wikipedia↓
古代エジプト数字について
技術評論社の瀬山士郎著 数学記号を読む辞典 にもちょっとだけデータを借りました。
確立としては非常に低いかも知れませんが、あーぷらメンバから偉大な数学者が出ることも在るかも知れませんね
雛形や記事の試作品を載せただけなので、常時協力者募集中.
メモ
エジプト数学史
↓ 未完成だがこのへんに数学史の補足説明用 画像でキメる(タグを書く知識がなく面倒なので 画像の方なら出来る)
だいたい完了したのでリリース
上、エジプト数学史(ちょっとミスがあるので後ほど手直しします そのうち)
アラビア~紀元前3300年までの
わりとかなり古代目のあたりの表(間違って重複して書いてる箇所があるので 同じ文面の記述が真ん中あたりにあります。
紀元前 3300年
ピラミッド・テクスト
度量衝
紀元前 2740 年
(ドグャァアアアア {壁を壊す音)なげえ 気が萎える。
前 663 年
西暦641年
アクミーム・パピルス
memo
ページが長くなりすぎてしまったので
そこそこ良いタイミングを見つけて
読みやすいように改良しておきたい
使った 資料
数学者図鑑 単行本(ソフトカバー) – 2022/5/25 本丸諒 (著)
本が予想以上に丁寧な記述があるので解読完了まで今暫くお待ち下さい
ヒルベルト
「超すげえことしたwwwwwwwww数学の重要な問題23個まとめたwwwwwww」
この人は、ボヤイ賞受け取ったらしい。
本編終わりです。ここまでお読み頂きありがとうございます!
この章の使い方
調査の方向性について書き残しておくと親切な人が答えてくれるかも知れない
聞く人も答える人も自由にフリーダムに緩く構えて答えよう。
Q.数学者って(現代寄りの人は)どうやって生計立ててたの?
A.マエに読んだ本の記述によれば 普段は会計士をやること
また、それで生計を立てる傍ら,数学の研究をしていたらしいです。
会計士は数学の研究をしているかもしれない...?
Q.アルキメデスの本業
A 調査中 お待ちを
調査完了しました{14:12 2020/12/04}。質問ありがとう。
数学者であると思っていたけれど、それだけでなく物理や機械 天文学についても精通している 当時最大の創造的数理学者と言われていた。
なので 一口には言い難いけれど 現代的な解釈をするとすれば彼は、一流の科学者だったと言えます
個人的には数学者であって欲しいナアというのは正直ある。以上
こうらしい。
まあ、(数学史に限らず)通り過ぎてしまって元のトコロに戻ってしまうっというのもいいかもしれないが
個人的にはそれらは幾つかは過去の人物の仕事の跡地なので
時折 余裕のある時 でいいので たまにはゆっくり振り返ってももいいのかもしれない。
この辺の資料見てみよう
日本評論社
にゃー(資料が手元にナイので停滞中
なぁーお(資料が手元にあるので そこから更に抜粋する
ちょっとブレイク
一筆書きで遊んだこと在る人は居るだろうか
アレに似た問題が在る
ドイツのケーニヒスベルクという都市でこういう言い伝えが在る
上面図
ケーニッヒスベルクの橋の問題と言われる問題で・・・。
こう書かれている"ケーニッヒスベルクの7つの橋をそれぞれ1回ずつ渡って歩くことは出来るか?”
と。
ケツロンから言ってしまうとできない っていうのがコタエなんだが(初手でエグゾディアを召喚するかのような記述)
もうちょっと掘り下げるとこういうことだ
レオンハルト・オイラーという数学者が居て。その人がオイラー一筆書きの定理で解いたのである
↓こうやった
↑こういうのをグラフと呼ぶがそれはおいておくとして・・・
図のついでに次数も追加したので非常にわかり良いが
全ての頂点の次数(書いた数字のこと)が偶数(2で割り切れる数字)である場合は
一筆書きが可能である それ以外のケースは不能である・・・。
ってことなので できないのである。
非常に駆け足で説明するとだいたいこんな。
女性
なんか功績が評価されまくって硬貨になったらしい。
ジェルマンキーホルダー
そうじゃない!わかりやすく話をしてあげよう。
どういう人物か
1776年4/1の商人の家元
に産まれる.
ある日、父の蔵書を読んでいた時に手にとったうちの本の一つに数学史という背表紙を読み
アルキメデスの一生についてココロ揺さぶられ 一生を数学にXXXすることに決めたらしい。すげえ
一世一代の賭けだ。
やった
フェルマーの最終定理の証明方法のヒントを考えだした
幼少期13歳 にフランスの寒い中 数学の学習を熱心にしていた(らしい)
かきかけおじ
なんか関連してそうな動画見つけた
さん。
哲学的な何か、あと数学とか | 飲茶 という本
数学史についてだいたい調べるつもりがなく 雑多な読書をしたらメ(ry
どうやらルーブル美術館で、古代の物体が展示されているらしく
たまたま展示を見ていた数学者が,目で解析したところにヨルと
"幾何学的な7つのパターンが見て取れる"というコトでしたので。
6000年前にも既に幾何的 カンガエがあったらしい
線対称だったり モトの図形を半回転させたり モトの図形をズらして書いたり ・・・など。
他にもいろいろあるかもしれない
これは個人的な見解ではありますが 数学の可塑性(別の物体や概念と"関連付け可能なレベルまで接近する"ことができる)が高い為
一見するとなんでもないトコロから数学的要素がひょっこりでてきたり 突然アイデアが浮かんだりするという副次効果があります。
学習する利点はイロイロあるとは思いますが 興味が少しでも湧いた場合やってみては如何か。
この辺までメモ 以下コメントとか。自由記述欄

数式が出てこない数学の話好きです❤️
/icon)
「↑アリシャッス!結構苦労して記事書きました 励みになります!!」

三角形の内角の和が180℃になる理由が知りたい人間です。
エジプトの紐の方法を見て、三角形を解体すると直線(180℃)である。
だから三角形の輪は180℃になる。
と自分を納得させようと思ったのですが、四角形、五角形で180℃にはならないのでこの証明方法は使えないって事になりますよね。
三角形の内角の和が180になるというきまりは、
0が0である理由がないのと同じような、
理由の説明が存在しないきまりなのでしょうか。
/icon)
<おこたえします
回答;ご質問ありがとうございます
こちらにリンクを張っておきます
だいたい証明をすると
字が下手なので この三角形のトナリに 点Aを通り,かつBCに並行な補助線を引く操作だけして
後は定理ぶっこめば
終わり
ので左上の方の赤いマークをつけた角度と右上と右下の黄色いマークの角度は等しいのでこれでEND
記号の方が分かりやすい場合は赤いマル→A 青いマーク→B 黄色い三角→Cとします
A+B+C = 180°
Q.E.D
例外とされた四角形や五角形は,平面の場合と仮定し補助線を引いて分解すると三角形になるので↓こういうかんじ
最小単位である三角形が180度になると証明すればオッケーなんです 美しい・・・。
めも;じゃあ同位角や錯覚が等しいことが成り立たなかったら
その定理成り立たないんじゃね?はい お前の負けーwwwwwwww
という小学校帰りたての将来有望そうな美少年が居ることにします↓
しょじひん →ファイル → ほかのていり → USE(使う
↓
今度こそ END

丁寧な説明ありがとうございます、誰に聞いても教えてもらえなかったのですが理由が判って初めてスッキリしました!🥳🎉ヒャッホー
算数は理由が判ると俄然面白みが増しますね📐幾何学の門へ一歩近づいたw
memo はしりがき
記号論理学の、初歩(すごく初歩)に関して。
izindenになってね?ということかも
数学史 年表 | Fukusukeの数学めも
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