排他的知性と包含的知性
ほねまつりにて話題に上がった概念。
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さんによる着想。
議論の態度や作法などに関わる。
自分の意見を正解とし、他の意見を排除するような知性
万事に適用すると「議論する態度としてそれはいかがなものか」と問題とされやすい。
それが善いか悪いかという話ではない
どのような人でもある程度存在しうる。
「譲れない部分」
「自分の核」
「議論不可能な箇所」
学問で言えば
数学など、厳密性の高い分野にて適用される
自分の意見はともかくとして、他の意見もある種の正解として取り入れようとする知性
「自分も相手も正解」「相手の意見を自分の文脈で再解釈する」など種類がある
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「世界の中に正解の二つの意見がある」イメージ、あるいは「自分の意見を無理やり広げて相手を取り込む」イメージの二種類を話を聞いていて感じた
相互理解を前提とする場では、議論作法として求められることがある。
ただし、善悪のあるものではなく、これを求めすぎるのも良くない……かも。
学問で言えば文学など、厳密性が求められない分野にて適用される
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そんなバカな。
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(初稿)ぼくはあんまちゃんとは理解してないので、言い得てない可能性たかし(切り出しで文脈も変わってる)。問題あったら消してもらって、書き直してもらったほうがいいかもです。