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感想の細分化作業について
cmanはものごとを言い表したい、伝えたい、という気持ちがある。
そしてそれはいつも足りていないと思っている。
他者が観察しているものごとも言い表してほしいと思っている
これは他者の世界観を知りたいということである
というわけで、“言い表す”ときに何を考えているのか、どういう作業をしているのかを考えてみる。

ひとは何かを感じた時、最も大きい枠の言葉で表す。
“美味しい”、“美しい”、“素晴らしい”、より広く表すと“めっちゃいい”など。
感覚は理性を飛び越えるので、最初から明瞭に言語化されていることはない。
これを人に伝え、言い表すためには、スコープを狭くして観察する必要がある。
例えば絵なら「とてもいい」と思った後に、「どこがよかったか?」を考えながら細部を見る。
そうすると、最初は意識に上がっていなかった細部が目についてくる。
「この曲線が良い」「この目に映る光の描き込みがいい」など。
自分の心が動いている箇所を確認するようにじっくりと観る。
cmanはセンサーのようなものを意識している。琴線ともいう。
この段階では、“どこか”を把握するのみで良い。
どこがよいのか、を把握したら、“良い”を適切な語句に言い換えることを試みる。
見つからなければ、単純に“良い”でも構わないが、これは言い足りなさを伴う。
「目に映る光の描き込みが良い」を「光の描き込みから、このキャラクターの生を感じる」など。
ここは本当に語彙と感覚の勝負になると思っている。
もちろん、「良い」を「美しい」「かわいい」「カッコいい」などに変えるだけでも違ってくる。
言葉を当てはめてみると、そこに付随するイメージと自分の感覚が近いかどうかがわかることがある。
言葉と感覚が離れていると、何かしらの違和感が自分の中に生じる。これを拾うのが大事。
方言が標準語訳されたときの違和感に似ているかもしれない。
“言葉の使い方への違和感”は母語話者であれば持っていると思われるので、これを拡大するイメージ。
このような作業を、思いつかなくなるか、言い表す体力がなくなるまで続ける。
ちなみに、cmanはよくこの段階で、「適切な語彙が見つからない状態」でさまよい続けることがある。
そういうときは、“良い”で代替し、言いたりなさに苛まれながら発信する。

これらは感想全般にはもちろん、創作的文章にも使えるノウハウではないか、と思っている。
創作的文章の場合には、「どこを描写するか」についての取捨選択が生まれる。
イメージさせたい部分の優先度
どこからイメージさせるかによって、受け手の中に出来るイメージは全く異なる。
文の順番や、並びによる響き合い(共鳴)
人は文を読む時に予測や関連性の捜索を無意識に行う……と思っている。
「彼はお腹が空いている。目の前には赤い林檎がある。」と「彼はペンを持っている。目の前には赤い林檎がある。」では、想像される次の動作が違う、というようなこと。
これは脱線。
こういったことを続けることによって、世界観を相手に伝えることが出来る……んじゃないかなぁと思う。
ぼくはめちゃ知りたいのでみんな気軽に風景とかに感想言ってくれよな!

ちなみにこのページは面白いはバイナリではない、「面白さの分析」を見てこれが使えそうだなと思って書いたものである。いろんな感情や感想を細分化出来る……かもしれない。