大きな物語
>社会全体で共有され価値観のより所として依拠されるイデオロギーの体系。フランスの哲学者リオタールが「ポストモダンの条件」で提唱した概念。
> リオタールはモダニズム(近代主義)が世を席巻した時代を「大きな物語が存在していた時代」と位置づけ、大きな物語が崩壊した後の時代を「ポストモダン」と位置づけた。
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あ、へえ。
ポストモダンというのはこの大きな物語がなくなったあとの時代のことだったのか。
ポスト・モダンというとばるさんが強かった記憶がある。
まぁ
日本の高度経済成長もこの例何じゃないですかね?掘ったら掘った分何かが得られるぞ!みたいな物語。
あとは「やりたいことをやるのが人生!」みたいなイデオロギーも大きな物語な気もする。
否定的に語らる文脈が多そうだけど、現代人にはちょっぐらいは大きな物語があった方が生きやすいのでは。
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宗教も最たる例だし、マルクス主義の
唯物史観(無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする歴史発展観)なども大きな物語とされるらしい。宗教という大きな物語も崩壊し、唯物史観も社会主義のソ連崩壊によって壊れたことで、ポストモダンが到来した?って感じでいいのかな?
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ほむほむ。なるほど。
ちなみに東浩紀が提唱した「
郵便的不安」という概念は、大きな物語が崩壊したあとに人々は様々な
小さな物語の中で生きるようになったのだが、自分が歩んでいる方向を指し示してくれる『物語』の確信が持てず、アイデンティティの不安に晒された状態のこと」をいうらしい。
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へ〜それは興味深い話ですね。結局そういう人らは原理主義化(大きな物語を取り戻しに行く・探しに行く)していくのかしら。私もそうなんですけどね。(
郵便的というネーミングの由来も気になる)
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ただ
東浩紀とその仲間達によるゼロ年代世代の本を読んでいると何でもかんでもそれっぽい現象をポストモダンのせいにしたがる風潮があってどうなんだろう?という感覚が正直自分にはあります。
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ははぁ、なるほど、その辺りがくま子さんが「大きな物語論」について引っかかっていると仰っていた点なんですね?
うん。
なるほど、ポストモダン教みたいに盲目的な信仰と化している可能性もあるかもですな。いや、詳しくないので全然わからないですが。ポストモダン芸人ぐらいに言い換えよう。
ただ、いまなんとなくの知識の中だけでいうと、大きな物語論は個人的にはそこそこ説得力を感じるというか、まぁ累積された抑圧体験が共鳴させてしまっただけかもしれないけれど。